【今年は、お花から教わること、そして、愛について、考えていきたいと思います。】


僕は、小さいころから、沢山のお花たちに囲まれて育ちました。それは、実家がお花屋さんを営んでおり、住まい


も同じだったんですね^^だから、家の玄関というものがなく、学校から帰ってくると必ず、お花のたちのなかを通


らないと、居間(テレビが唯一置いてある家族の溜まり場)に入ることができなかったんです。


毎日、毎日、お花に触れたり、匂いを嗅いだりしていました。あるときは、”トウガラシ”の花を触っていて、その


手で目を擦って、痛くて痛くて、一日中、泣いたこともありました^^  (本当に、顔から火がでる?ような事件でした^^)


そんな、僕が、お花から色々、教わった(体験した)ことを、お伝えしていきたいと思います。


”愛”についてですが、世間でいわれる?”愛”とは、ちょっと違う角度からの”愛”について観察?したことを、お伝えしていこうと思います。


聖書に“愛”の反対語は、“無関心”とあります。ということは、“愛”=“関心”であり、関心を持


つということは、相手をよく見ることであり、認めることであります。また、見られることであり(見守っててくれる)、


気にかけててもらうことであり、認められることであるのです。


(ちなみに、僕は、無宗教です^^しかし、高校がカトリック系の学校でしたので、聖書は、読まされていました^^)

“認める”の語源が“目をとめる”です。これは“愛”の始まりであり本質なんだと思います。“今、目の前の相手を


”よく見る”ということです。相手に対して、関心をもち見守るということです。相手をよく見るから、その人の


良いところがわかり、褒めることができます。また、相手をよく見るから、その人が、良くなるようにアドバイスでき


ることもあります。相手をよく見るから相手の気持ちが理解でき、そして、相手が喜ぶことをしてあげることができ


るのです。そして、人は愛する人から“認められる”こと(見てもらうこと、関心を持たれること)が喜びであり、幸せを感じるような気がします。


人が、どういう角度で人(物)を見ているか、そして、どう行動するか、そして、そこには、”愛”がある


のか、じっくり見ていきたいと思います。





"ありがとう"と"感動"を届けるお花屋さん・・・「言花や~kotohanaya~」