行くと決まれば気分はすでに巡礼地だが、その前に、「準備」が大切である。
 最初は購入していなくて、途中で必要に気づき、入手したものなどをあげておく。


 身につけるものからあげると、まずは「靴」。
 6~7時間は歩きっぱなしなので、足にピッタリと合ったトラッキング・シューズが必要だろう。
 雨水にも強いシューズが必要だ。

 次に「レインコート」と「リック」。
 これもメーカーはなんでもいいと思うが、雨水対策が重要。リック用には外付けのカバーが1500~2000円で売っている。

 帽子。僕は巡礼用の傘をかぶったが、現在は30人に1人ぐらいか。日差し対策に帽子は必要。

 その他には
 「着替え」:かなり長い距離を歩くのでシャツは汗でびしょびしょになる。

 「小銭入れ」:お寺での賽銭、そして通常、納経帳を渡して墨、朱印をいただくのに300円かかるのであると便利。

 僕は途中で購入したが、小銭入れや手帳を入れておく「ウエストバック」があるとものすごく便利である。これは必須だと思う。

 「飴や甘いもの」:なんだ~と思うかも知れないが、疲れた時に口に入れるとほんとにうまい!干し梅などアミノ酸類も身体にしみる。仲間にあげて感謝された。

 「水」:水は入らない。山登りではないので、ほとんどどこでも入手できるので心配なし!

 「食事」:これも途中で結構手当できる。ただ、秩父は土地柄「蕎麦(そば)屋」が多い。というか蕎麦屋だらけだ!僕らはほぼ全て昼食は蕎麦だった(蕎麦屋でどんぶり物を頼めばいいではないかと思うかも知れないが、蕎麦専門店ばかりだ!)。
 蕎麦が苦手、嫌いな人は別に何か準備して持っていった方がいいと思う。

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 少し話が前後するが、秩父観音巡礼を始めた日曜日の翌日、ふらりと立ち寄った古本屋でパッと目に入ってきた本が、瀬戸内寂聴さんの「愛と救いの観音経」だった。

 観音様は僕の準備不足をやはりお見通しだったらしい。

 この本の中に、巡礼の作法について「御本尊を念じ、合掌して読経」と書かれていた。

 読経は「般若心経」「観音経」「十句観音経」「本尊名号」「回向文」などと記されている。

 僕は「般若心経」はそらんじられるので、初日はそうしていたのだが、寂聴さんの本と出会わせていただいたことで、「『観音経』のこと、観音様のことをもう少し知っておきなさいというメッセージが届いたのだな」と感じた。

 「観音経」は御経というより、観音様がいかなる神様なのかということが紹介されているひとつの“物語”である。

 寂聴さんは本書の中で「観音経」についてこう紹介している。

 「『観音経』の中では、およそ私たち人間が考え得る幸福のすべては、観音さまを信じさえすれば与えられるということになっています。
 
 また、苦しみという苦しみ、不幸のことごとくは、観音さまを信仰しさえすれば救ってくれると説かれています。何という頼もしい観音の威神力でしょう」


 
 「私たち凡夫は何といっても、現実に信仰の御利益をこの世で与えてくれることを望んでいます。

 それが卑しい、つまらない願いで、本当の信仰はそんなものではないと、理屈でわかっていても、やっぱり、苦しい時の神頼みで、その願いがこの世でかなえられることを心の中では切望しています。それをかなえてくれるのだからこんな嬉しいことはないわけです」

 
 この文章を読み、観音様には現世利益を求めたお願い事をしても許されるのだということを僕は初めて知った。

 僕はお地蔵様はそれが許されると知っていたが、観音様もお願い事をしても構わないわけだ。

 これからの巡礼の旅がますます楽しみになってきた。
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ある時から、「観音巡礼」の旅に出かけたいと思い続けるようになっていた。

 しかし、「すぐに」というわけでもなく、「いつか」という程度の思いでもあった。

 そんなある日、新木場駅から有楽町線に乗り、ふと中吊り広告に目を向けると、そこには「秩父観音巡礼、ご開帳」の広告があった。

 僕は、それを見た瞬間、

「秩父の観音様からの導きだ」

 とわかった。

 「今が行く時だ」

 自然に、素直な思いで、そう決心した。

 不思議なもので、会社に戻り、その話を会社の同僚にすると、「僕も一緒に行きたい」と言う。

 「きっかけ探していたのだ」とその思いを彼は説明した。

 旅は道連れである。

 巡礼には、「同行二人(どうこうににん)」という重要な言葉があることを後々知ることになる。この言葉の意味は追々ご紹介したいと思う。

 そして、もうひとり、まもなく70歳になろうかとする僕の心の師であり、良き先輩からも「オレも一緒に連れていってくれ」と真剣な顔でお願いされた。

 お願いされるようなことでもない。望むところである。

 思いが一緒であればそれだけで「旅の友」である。

 こうして3人の秩父巡礼の旅は始まることになった。

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