長い手紙

ASD配偶者は、自分以外の人の気持ちを慮(おもんばか)るということが、宇宙的レベルでできない。

 

例えば、子供が目の前で火傷していても「妻が慌てて手当してるので大丈夫だろう」と判断し、食事を続ける。
子供がタバコを誤飲しても「胃洗浄に行ったのだし、一命を取り留めたので大丈夫だろう。」とタバコも吸う場所を、一向に換えない。
乳飲み子がいても「子供の面倒は全て母親の仕事。」と感染症流行時に、上の子の病院に母親を行かせる。

「自分以外の人の内面」という部分が、完全に欠落しているのである。


そして、「見えないものは、ない」。

全ての行動動機が「自分がこう思うから」という基準しか持たない相手との生活は、ギバーとテイカーの関係の最たるものになる。
世界に、自分以外の人間の「内面」はないのである。

 

家にトイレが一つとしても、使いたい家族がいても何十分も籠る。
お父さんが出てこないので、子供が大きい方を漏らしたこともある。
子どもを預けて出かけようとすると、急に腰が痛くなり動けなくなる。
一緒に出かけても、タバコを吸うための場所を探すために家族を雨の中何十分も歩かせる。

 

子育て期間中、彼は20年彼は家をほぼ空けていた。
彼は、彼の育った環境が全てなので、子どもに関することは全て私の仕事だったからである。
信じられないかもしれないが、可愛がってもいなかった。
「勝手に生まれてきたので、愛おしさが湧かない」のだという。
ここが、ASDの所以である。

 

人によって差はあるのだろうが、元夫の場合は「悪気がないからいい」というレベルではなかった。
存在しないレベルで無視をされ、私が何かお願い事をしても聞こえていないかのように動かない。
もう少し食い下がると、その生育期間での経験からか「否定された、攻撃された」とスイッチが入り、全力で猛烈な反撃に出る。

 

「農民階級の考えだ!」「低学歴の考えること!」「貧乏人の家系!」
果ては、
「家事が下手!」「贅沢好き!」「子育て一つ満足にできない能力の足りない女!」「女として価値がない!」「要らねぇ、いますぐ出てけ!」
と、傷つけ相手を黙らせること言葉の限りを尽くす。

 

結婚してからは、私は口紅一本買ったことがなかった。
実家では、成人祝いにと母親が化粧品を買ってくれるような環境だったが、好きな時に好きなだけお金を使う彼の給料では、とても買えないのだ。
そんな私が、贅沢なのだろうか‥

 

私は幸いにして、子ども2人を授かった。
子どもたちを、この世に産み落とした責任がある。
父親の協力が皆無でも、安全な巣を守り独り立ちさせ、社会人として成長させなくてはいけない。
故に子どもに父親の悪口は言わなかったが、一度だけこの、母親が父親に全力で罵倒されている場面に、子どもたちが遭遇したことがある。

 

私は泣くもんかと涙を溜めながら、
「出て行かない!子どもたちを育て上げる。この巣を守る。なんとでも言えばいい!絶対に子供たちを育てあげる!」
子供たちを安心させること、そのことに必死だったことを覚えている。

夫に、離婚を初めて切り出したのはこの後だった。

「家族に何かあって、そばにいて欲しい時に必ずあなたは逃げる。あなたと一緒にいて『大丈夫』と思ったことが結婚してから一度もない。離婚します。3人で出て行く。」と。


すると、A4用紙4枚か5枚ほどの反省の長い手紙が来た。

最初の1行に、発してしまった言葉に対する謝罪があった。
しかし残りの何百行は、
 

「自分がああ言ってしまったのは、君が日頃こうだったからだよ。」
「こう言ってしまったのは、君がこう言った言い方をしたからだよ。」
という、「私の至らない点」が面々と綴られており、

最後には「君は家事を完璧にできないし料理も嫌いみたいだけれど、僕は君と違って家事や料理が楽しめるよ。」と綴られていた。

 

読んだ瞬間にひどい吐き気が込み上げて、戻してしまった。

気持ち悪さゆえ、その手紙は廃棄してしまってもうない。
人は精神が極限に達すると戻してしまうものだということを、この時に初めて経験した。

 

人に話しても、わかってはもらえない。
わからないだろう。そんな人間には、遭遇したことがないから。
このようなレベルで、子どもや家族を愛せない人になどあったことがないだろうから。
他人からすれば、変わり者だけど勤勉な研究者だから。
自分は、迷惑を被ってないから。

 

実家の母は私を案じながらも、女性がいたり暴力を受けている訳ではないからいいでしょと言われた。
父は「我慢すべき」の一点張りである。
しかし、それで精神を削られていい訳ではない。

 

精神、お金、時間、そして命。
この頃の私は、いつか彼が自分たちに目を向けてくれるということにまだ希望を持っていた。
子どもには、父親の愛情不足を補うため、「お父さんから」と言って家族のイベントをしたし、彼の誕生日に食事に行く企画をした。
家族イベントは全て私が計画立案し、時には全ての費用を私が持った。

彼は満足そうに、「お父さんからだぞ!」とその企画に乗るだけであった。

私に、感謝も労いもひとつもない。

 

それでも子供たちの笑顔がそこにあれば、私はよかった。

 

彼と過ごした時間を振り返って、私は結婚・婚約指輪も含め、彼から「プレゼントをもらったことはない。
すでに自分のものとした「もの」に、そのような気遣いなどは無用なのである。
家族の記念日などは、彼の中にはないのである。
決して早急ではない飲み会や、出張で有給を取り全国旅行を楽しんでいた。

 

モノが欲しかった訳ではない。

彼の中に家族を思う心が、欲しかったのである。

砂漠に水を撒くように、自分の精神が枯渇していく。
そのような感覚で生きていた私は、この頃から希死念慮が芽生え精神科に通うようになる。