ここ数年、ASDに関する情報がとても多い。


私が結婚した頃は「男はそんなもの」「女が従えば波風が立たない」と言う閉鎖的な時代だったので、病的な私への無関心さに関しては、カウンセリングを利用するもののただただ耐えるしかなかった。

 

夫は、分類されるとしたら尊大型ASDになると思う。

自己愛性パーソナリティ障害も持っていると想像できる。
言うこと話すこと態度の全てが「偉そう」で、高圧的で、人を(特に私を)利用することに何の躊躇いを持たない。
先にも記したが「自分は選ばれた数少ない人間だ」という発言がそうである。


彼は、自分の小さな帝国を実家でそうであったように、保ちたかったのである。

実際私が社会と関わりを持つことを嫌がったし、学生から主婦になった当時の私には、文字通り彼が唯一の社会とのつながりだった。

「こんなことも知らないんだ。バカじゃないの?」という彼は嬉しそうだった。
そして力も知識もない私は、彼が広げる大風呂敷を純粋に信じていたのである。

しかし、実際に暮らし始めると彼は非常に頼りない。

いうほど物事を知らないし、前からちょっとでも怖そうな人が歩いてくると、私をそのままにしてさっと隠れてしまうことがあった。
(露出の多い女の子には引き寄せられる、と同じ心理構造である)

 

頼りにならないので、彼といて大丈夫だと思ったことが一つもない。
それでも、夫婦だからいつか気づいてくれるはずという期待はある。
思いやりがただただ一方に流れていく日々は、今考えると針の筵に等しかった。

 

特性を理解すれば、それらの行動は頭では理解できる。
しかし、火傷を負った子どもを目の前にして平然と食事を続けたり、出産を終えたばかりの私に
「老っけたなぁ〜。子供産んだらおばさんだよな。」
と言う事は、特性を理解するしないの前に傷つくことではないだろうか。


悪気のあるなしなど、ここで配慮する必要はない。
私は確かに、傷つけられたのである。

許せる許せないは、人によると思う。
発言の頻度や、言葉の虐待の程度もあるだろう。

私の場合、許せないという結論に至った。
後に成長する息子の進路も、潰した。
長い時間利用され、見下され続け罵倒され続け心が砕け散ってきた記憶が、理性が許そうとしても感情がそれをできないのである。

 

結婚して数ヶ月経ったある日のこと。


彼は、人を家に呼ぶのが好きだった。
私に前日から手料理を作らせて、1DKの狭い部屋にしばしば人を招いていた。

(もちろん手伝いも買い出しもしない。)

会社の後輩を招いた夜、夫は私の大学の卒業アルバムを持ち出してきた。
「どの子が可愛いか、指差しゲームしようぜ。」と。


周囲の後輩の皆さんは、私の顔をチラチラ見ながら遠慮している。

しかし、楽しそうに始めた夫(先輩)に合わせて仕方なく始めていた。
ページをめくっては、一斉に好みの女の子を指差すのである。


なんて幼稚な遊びだろう。しかし来客のある場、耐えるしかない。

私のページに来たとき、何人かは気を遣って私を指してくれた。
ごめんなさいね、と目配せすると、元夫は
「この子可愛い!超好み!口ごたえしなさそう〜。どんな子か教えて!」
と私に聞いてくるのである。

 

彼の好きそうな、おとなしそうな顔をした友人である。
しかし私が知る彼女は彼が想像するような子ではないし、何より私の大切な学友でもある。
「モロ好み!妙な気持ちになっちゃうな〜。」
などと、周りが引くぐらいのはしゃぎようである。
私は、その場から消えたいくらい恥ずかしかった。

 

普通の感覚だと思うが、私は元彼や好みのタイプについて話すことはない。
それは、目の前にいる相手に対する最低限の礼儀であるからだ。
しかし、彼には私に対する「礼儀」はない。
それでも結婚前は私に嫌われないよういろいろと頑張っていたと思う。
しかし、結婚という目的を果たした私にもう気遣いなど無用なのである。

彼らを見送り、当時はまだやっていた女の子が裸になる深夜番組を見ながらくつろぐ彼を見ながら、私は暗澹とした気持ちで片付けをしていた。

私がもうすこし社会を知っていたら、まだ子どもがいないこの時期なら、なりふり構わず福岡に逃げ帰っただろう。


しかし、結婚を通してたくさんの人に応援して送り出してもらった事が、私の行動を鈍いものにしていた。

私が帰れば、厳格な父は私を家には入れないだろうし「傷ものの私が結婚できた」と喜んだ母も落胆させるだろう。
努力しなければならない。

私は妻なのだから。

 

ASDと自己愛性パーソナリティ障害を持つ者を前にして、忍耐強さは自分を刺すナイフとなる。
心に血を流しながら、数ヶ月のち、私は奇跡的に妊娠することになる。