1人1人命ある誰もが ある意味ヒーラーです

healer.。・*゜
健康健全な 本来のあるままの心地よさへと 導く人*・。
.癒やしを施す人.。・*
そんな感じね.*゜・。
特別な学びや修業を身につけた人だけの
固有名詞では ないですね・。.゜
人は決して 1人で生きる存在ではないから*.。・
少なくとも 誰もが 父と母を持ち
その融合から生まれたわけで・。.*゜
孤独が好きであっても 生まれてから
人との関わりの全くない世界では生きていけない**.。・
人と人が触れ合う時 なんらかのエネルギー(氣)が
通い合い・。.*゜それは 時として 刺激となり 癒やしになる
人は うつろい揺らぎながら生きる 生命体だから.。・*
絶えず 様々な出来事に出逢いながら
体と心と魂(本質の輝き

自分なりの"心地よさ"や 調和を 探しながら
時間の螺旋を 旅しています*・。.゜*・。.゜♪
苦しんだり がんばったり 落ち込んだり.。・
感動したり 楽しんだり 喜んだり.。・*゜
そんな中で "私"という存在は
資格や 学びの有無に関わらず 天然の癒やしを
なんらかの形で 届けたり 受け取ったりしています。
1人1人が 世界に関わりをもって生きることの1つ1つが
自然体の癒やし*・

多機能に 様々な 回路を 駆使して
効率よく 生きる現代社会なので…役割分担が 豊かになり
《お金》という経済エネルギーのやりとりで
お仕事として 癒やしを 届けたり受け取ったりも
ある意味充実していると思います(エネルギーの扱い方によって
混乱もしていると思いますが・・☆)
また聖地……

"心地いい。.*☆"..と感じて訪ねる場は
訪ねる人にとって 聖なる場 なのだと私は思います.。*・
活き活きとした エネルギーを 命∞魂に受け取れるならば
それが 神社や お寺でなければならないことは
ないですね………☆
街

あるいは ただ 広い空が見える場所や
好きは景色が 眺められる坂だって
立派な 聖地だと 私は思うのです。
1人1人の感じる心地よさがあり
1人1人の本質が 揺れてピッタリ寄り添う
その時々に応じた聖なる場所があります。
特別な 歴史や出来事や 深い意味がなくても.。*・
澄んだ 氣配の場は あるのです

手付かずの 原始の自然界より
人が慈しみ愛おしむ手垢にまみれた場が
魂の輝きを 応援する聖地だったりもします*。.・
なんか そんな 決めつけのない 感覚で
本質の力を 感じて つながっていくのが
好きです・.。*゜
右にならえで……
流行りや スタンダードを 追いかけるだけでは
もったいない気がします*。.・゜

なんか意味も違う気もする………☆
1人1人 感じ方も 魂の物語も 未来感覚も違うんだから.。*゜・♪
1人1人が ヒーラー

さっき書いたけれど・゜*。
心地いいなぁ…幸せだなぁ…美しいなぁ…

場に 感じることで
私たちは 大地に癒やしを届けています*。・
ハートと 場の本質が 響き合うとき
揺らぎと揺らぎが重なり合ってね
見えない 波の響きあいは 美しい力になります*゜・
お互いの純度がまし 癒やし*゜・となります。
場と人の共同創造

さらに言うならば…☆
場と人の聖なる輝きの響き合いね

《聖》の字は
~神に祈り 神の声を聴く~意*゜・。
神∞宇宙の意図に祈りをもって慈しんで 向き合い
心地いいと感じる 氣配を受け取る…

聖地ってそういう場のことだと思う。・゜*.
どうぞ 愛しい場所を 訪ねてください☆
足を使い 体を運び どんどん 場を感じに 出かけよう・゜*♪
そこで 出逢う ドラマや 人や 感覚は
魂をより 豊かに自由に 伸びやかにするでしょう*゜・。
1人1人の魂の旅でも ありますね

~こと葉~