ほう、そうか

 

今回は、自分を楽にさせるための言薬です。

 

江戸中期に、臨済宗中興の祖と呼ばれていた白隠慧鶴(はくいんえかく)という禅僧がおられます。

 

私の家がある静岡県沼津市のお生まれですが、

駿河には過ぎたるものが二つあり

富士のお山に原の白隠

と謳われるほどの人物でした。

 

 

こちらが白隠さんのお寺です。

 

あるとき、寺の隣の十代の娘さんが妊娠したそうです。

両親から問い詰められた娘さんは、切羽詰まって相手は白隠だと嘘をついてしまいました。

 

怒り心頭の両親は、寺に怒鳴り込みます。

父親は、「お前のせいらしいな」となじると、

白隠さんは反論するどころか、「ほう、そうか」とだけ答えたそうです。

 

全くの濡れ衣ですから、普通は反論するはずです。

しかし、白隠さんはそのまま受け流しただけでした。

 

ところが、噂はあっという間に広がります。

それまで尊敬していた禅僧が、非道なことをしでかしたわけですから、

説法を聞きに来る人はいなくなってしまいました。

 

赤ん坊が生まれると、娘さんの両親は白隠さんの所に来て、

「お前が父親なんだから、赤ん坊の面倒をみろ」と言ってきました。

 

白隠さんは、赤ん坊を大事に大事に世話したそうです。

 

一年ほど立って、慚愧に堪えられなくなった娘さんは、とうとう真相を両親に打ち明けました。「父親は白隠ではなく、近所の若者なんです」と。

 

驚いた両親は、慌てて白隠さんのところへ行き、すべてを詫びたそうです。

そして、赤ん坊を引き取ることを告げました。

 

この展開で、皆さんが白隠さんだったら、何と言いますか?

身に覚えがないことで責められ、赤ん坊の世話までさせられ、挙げ句の果てに赤ん坊を返せと言われたら、文句も言いたくなりなすし、金銭を要求する気持ちにもなることでしょう。

 

ところが、白隠さんが放った言葉は、

「ほう、そうか」

だけでした。

ひょうひょうと赤ん坊を返す白隠さんの姿が目に浮かびます。

 

まさに、ケセラセラ(Que Será, Será)ですね。

 

物事に執着せず、すべてを受け流す白隠さんの器の大きさがわかる逸話です。

 

未熟者の私には、とても真似することなどできませんが、

どうしようもないことに直面したとき、

「ほう、そうか」

と呟いてみてはいかがでしょうか。

 

 

この岩は、静岡県沼津市にある八畳石です。

白隠さんが若かりし頃、ここに座って坐禅の修行をしたそうです。

 

4年前に訪れたときに、石の大きさに驚きました。

でも、それ以上に白隠さんの器の大きさを感じました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

対話力をみがく取り組みをしています。

「言葉を言薬に」