自己紹介も兼ねて、私が医師を志す契機となった『言薬』をご紹介します。

 

今から33年前のことです。

当時、私は筑波大学の大学院修士課程である環境科学研究科に所属していました。

第二学群生物学類を卒業し、同期が一般企業に就職したり教職についたりしている中、なんとなく大学院で過ごしていました。

 

製薬会社に研究職として就職を考えたこともあったのですが、どうしても決められなかったのです。仮に創薬に関わったとしても製品化まで10年かかるのだそうです。そうすると、定年まで働いたとして自分に与えられたチャンスはせいぜい数回なのではないかと勝手に思い込んでいました。

 

それよりも、もっと早く結果が出る仕事がしたいと考えていたのですが、漠然と医師になりたいという結論に辿り着きました。しかし、医学部を再受験することの労力、学費や生活費などを考えると踏ん切りがつきませんでした。

 

大学院の同期に田中豊三さんといって、私よりも10歳以上も年上の方がおられました。彼は、中学卒業後に寿司屋で板前修業を始めた方でした。寿司屋になる道を選んだのですが、途中でこのままでは行けないと思ったそうです。そこで、定時制高校に通い、必死になって勉強して、琉球大学農学部に入学したのです。その後は、青年海外協力隊員として開発途上国での農業指導に携わっていました。

 

 

ある日、私は大学院卒業後の針路について、人生の先輩である田中さんに相談したのです。「田中さん、俺、医者になろうかと思うんだけど・・・」

私が期待していた声は、「いいと思うよ、頑張りなよ」だったのですが、

田中さんの言葉は、全く違いました。

「お主、おれに相談するくらいじゃ、絶対上手くいかないよ!」

「そんなのやめちまえっ!」

 

思い切りビンタを食らったような感じがしましたが、その言葉で、私のスイッチが入ったのです。その足で、本屋に行き、受験用参考書を買い漁りました。そして翌日、担当講師や教授陣に中退の希望を伝えました。田中さんの言葉で発憤した私は、医師の道を歩むことができるようになったのです。

 

この言葉は、起爆剤や気付け薬というよりも劇薬でした。あの言葉に触れていなければ、今の私はなかったことでしょう。私を励ましてくれた田中さんには、今でも感謝しています。

 

言葉は薬になります。

人を癒す治療薬だけではなく、人を励まし発憤させる劇薬もあるのでしょう。

 

発憤(はっぷん)で思い出したことがあります。

スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授が提唱したプランド・ハップンスタンス理論をご存知でしょうか。これまでになかった偶発性とキャリア形成の関係を示すものです。

 

プランド・ハップンスタンス理論のポイントは、以下の三つです。

・変化の激しい現代において、キャリアの8割は偶然の出来事によって形成される

・偶然の出来事を利用して、キャリア形成に役立てる

・自ら偶然の出来事を引き寄せるよう働きかけ、積極的にキャリア形成の機会を創出  

 する

 

 

出会いはもちろんですが、対話の中で湧き上がってくる言葉も、誰かのキャリアに影響を与えるということを知ることができました。