両親が、桂離宮に行きたい←母の希望

からの、平等院に行きたい←父の希望


という事で、お付き合いしてきました。



京都駅で待ち合わせて、バスで桂離宮へ。


なんかさー、どうでもいいけど、京都、人多すぎ。

聞きたいんだけど、みんな、なんでそんなに清水寺に行きたいの?

と腹ん中で、聞いてみる。笑

四半世紀前私も京都市民でしたが、

ここまですごくなかったような…知らんけど。


ちょうど京都駅から桂離宮に向かうルートってまさに、私が住んでいた家の近くを通るのですよ。

当時買い物していたスーパーの名前が変わっていたり、

たまに行っていた洋食屋さんがまだあったりとか

ちょっと色々思い出して切なくなりました。

昔を懐かしむ、とか、あの時に帰りたい、とか そういう感情って

後ろを振り向くようで、基本嫌いなんですが

ちょっとだけ感傷的になりました。









何気に矢尻


襖の柄が可愛い

おしゃれ


お金持ちがわざと質素風につくる。

でも実は何気にいい資材を使っている。


パンがなければお菓子を食べればいいのに、

と言ったのはマリーアントワネットですが(最近ではその発言は実はマリーじゃない、が主流ですね)

彼女が作った、プチトリアノンみたいだよな、と思ってしまいました。

プチトリアノン、農家を模したある意味自分専用のテーマパーク。


勝手に散策できないので、ガイドさんについて回るんですが、まあ一部の方のマナーが悪い事に驚きました。

ガイドさんが歩きながら説明するため、

後ろの方の自分に聞こえない!

全員が立ち止まってから説明すればいいじゃない!

と怒るおばはん。なら自分が前に着いて行け!

入ってすぐに、地図を突き出し、『今どこ?』と聞くじいさん。あほか、今入ったばっかだろ。地図みろや。

挙げ句の果てに、ガイドさんの腰にぶら下がっているインカムのコードを引っ張って

『これ、これが(洋服の)裾で隠れるから聞こえないのよ』というおばはん。


じいさんは、知ったかで、若い綺麗なお姉さんを←

不適切な発言ですんません。


からかって遊んでるんだと思われました。

たまにいるのよね、わざと困らせることを聞いてくる人。


前者のおばはんは、苔を踏んでガードに注意⚠️されてましたがザマアミロと思いました。

後者のおばはんは見終わったあと、バス停🚏まで、歩きだしたと思ったら、猛ダッシュ。

なにがしたいんだか見たいんだか、同伴者を置き去りにしていきました。

どこまで自己中なんだか。


ああいう人間にはなりたくない





地位も名誉も財産も、何もかも手に入れても

死は免れない。

道長さんも飲水病(糖尿病)に苦しんだ最期でした。


最近思う。

目が見えなくなったり、歩けなくなったり、

食べられなくなるなら、私は長生きなんてしたくない。

そこに、自分が考える人間の尊厳があるようには思えないから。迷惑をかけたり、挙句疎まれるくらいならさっさとおさらばしたい。

長生きして、自分の子どもが先に亡くなったり、とか見たくないし。

よく言われる、家族はどんな姿でも生きていてほしいと思います、うん、そうだよね。

分かってるけど、でも自分に対してはそう思うの。

矛盾だけどね。人生矛盾ばっかよね。

だって私、ワンニャンには長生きしてほしいもん。笑。




父今年82、母75。

歳の割には、まあ歩けるほうなのかな。

でもふとした拍子に、動きがやっぱりスローだな、と思う。耳もやや遠くなったし。

それにしてもマイペース。

京都駅で会ったすぐに、

モーニング食べるぞ!、だし笑

このお店はいやだとか、まあワガママ笑

でも、まあたまの親孝行もよし。




絶対これ、やるよね笑



あらすじ知りたくないから

前半買おうかな。