育ったところは、

 

後ろが山、

前が海、

その中間には 川

 

 

 

今でこそ

 

「なんて素晴らしい環境だ〜」 

 

と思うけど、田舎暮らしには良し悪しがあった

 

 

宮崎では平坦な街並みを、どこへゆくにも自転車が大活躍。

けれどもここは、国道に沿って自転車に乗れる道幅がなかった。

 

姉妹喧嘩していると、

「そんな大きな声で〜!!そこを通るおばちゃんたちが びっくりするでしょう〜!!」と、母親に大声で叱られ、

益々大声を張り上げた私。

 

 

 

皆んながみんなを知っている環境。

そう、誰それさんの孫、娘・・・・・びっくりマーク

 

 

反面、

 

遊び場は、前回話したように 

山、川、ヨットハーバー

子供が遊ぶには 恵まれた環境が揃っていた。

 

 

猿のように木登りもよくしたし、

ばあちゃん家の馬小屋からも飛び降りたりして、

’チャレンジ’ さえ 楽しい遊びと化していた。

親は子供がどこで遊んでいるかなんて知らなかったはず

 

自由に飛んだり跳ねたりができる環境。 

 

(う〜ん、本当に素晴らしい環境だった!)

 

 

 

チャレンジといえば、日本では ’サスケ という番組で、

これまた鹿児島の人が有名になっていたのを思い出した。

まことさん、だったかな?

 

 

 

アメリカでも人気の番組だったみたいで、私も一時期見ていた。

 

アメリカでのタイトルは 確か 

 

”Ninjya Warrior" 『忍者の戦士』!

(複数のSが付いてたかは 覚えていない・・・)

 

いかにもアメリカ人が好きそうなタイトルだ 爆  笑

 

 

 

この番組を見ながら、

「子供の頃の私なら、めちゃくちゃ楽しみながら、しかも楽勝だったわ〜!」

と思いながら

サスケ気分で自分の姿を想像していたけれど

あ・・・背が低いんだから、それでアウトだわ・・・と、

後で現実を振り返る。

 

 

当時、子供バージョン サスケ なんてのがあったら、

 

やりたい〜!!!って思っただろうな〜

 

 

 

話が逸れてしまった・・・

 

 

 

遊びの環境抜群に加えて、

 

山と海の幸にも恵まれていた。

 

 

 

 

子供の頃、刺身が苦手だった私

アメリカでは’変な日本人’ だった

 

 

アメリカ人は、日本人は皆、寿司が好きだと思っているから、

「美味しいお寿司があるところ教えて!」とよく聞いてきたものだ。

 

私が生魚に興味ないと言うと、

 

目を丸めて

”OH〜 MY GOD!  You are not a Japanese~!”  と言われたものだ。

 

年齢と共に舌も成長してきたようで、

今ではお寿司を美味しくいただける。

 

やっと ’標準の日本人’ の仲間入りを果たした気がする。

 

(話がどんどんずれてゆく気もするが・・・)

 

 

 

海の幸にはそれほど感謝の念はなかったものの、

山の幸は嬉しかった。

 

畑の幸も豊富だった。

 

 

家の前も裏も畑。

 

 

 

本当の人参の味で育った私は、

後々、関東地域で買った人参の味に驚いたことがある。

 

「食べやすい!」が正直な感想

要するに、味が薄かったのだ。

 

 

 

なにしろ、ばあちゃんの人参は

「土の味」 だったから。

 

 

体も精神も元気いっぱいだったはずだ・・・

 

 

 

 

次回へ・・・