たまに読ませていただいている方の

ブログに”自死”について感じることを

書かれていました

 

 

 

 

いつも深い気づきを与えてくださる

ブログですキラキラ

 

 

 

 

 

 

 

 

その中で

 

 

 

 

”自殺はいけない”というのは

残されたものの悲痛な訴え

なのかもしれない

 

 

 

 

と書かれている部分があって

 

 

 

 

私の個人的意見なのですが

 

 

 

 

父は自死を選びましたが

”自殺はいけない”という思いは

実は私にはあまりないのです

 

 

 

 

なぜか?はよくわかりません

 

 

 

 

だから今回

向き合ってみることにしました

 

 

 

 

ニュースで流れてくる子供達の自殺

 

 

 

 

私も子どもがいるし父の死もあるので

痛いほど心が痛みます

 

 

 

 

それでも”自殺はいけない”とは

言い切れないのです

 

 

 

 

私が弱い人間だからかもしれません

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり父の苦しんでいる姿は

見ていられなかったから

 

 

 

 

やっと楽になれたんじゃないかって

 

 

 

 

そう思わないと

精神を保てなかったんですよねきっと

 

 

 

 

父は精神が正常な状態ではなかった

正常な判断ができなかったかもしれない

 

 

 

 

けれど

 

 

 

 

”死”を覚悟した父を受け入れたかった

 

 

 

 

家族に大切な人に

悲しんで欲しくて死を選んだわけじゃない

苦しめるために死を選んだわけじゃない

 

 

 

 

そう思ったのです

 

 

 

 

当然、残された人はとてつもない

感情に押しつぶされそうになるし

言葉にいい表すことができないけれど

 

 

 

 

それでもやっぱり私は

”自殺はいけない”と言えない

 

 

 

 

私っておかしい?

ひどい?なぜ?

って向き合った時に出てきたのは

 

 

 

 

”一人ひとりの人生”

 

 

 

 

もしかしたら父は後悔しているかもしれない

 

 

 

 

けれど

 

 

 

 

それでもやっぱり

一人ひとりの人生だと感じるのです

 

 

 

 

”生”をもって伝える命と

”死”をもって伝える命がある

 

 

 

 

私たちは

生をもって死を知る

死をもって生を知る

 

 

 

 

父の死から

計り知れないものをたくさんもらったなあ

 

 

 

 

 

生と死

そのどちらも

 宇宙の仕業

 

 自殺すらをも

 宇宙の計画のうちなのだ

 ということ

 

 残されたものは

 それを受け入れるという体験を

 その人生で決めてきたということ

 

 自殺者を見送ったものが

 体験する絶望に

 死と生を凌駕する領域がある

 

 そこにたどり着くことを

 決めたてきた勇敢なものたち

 それが見送ったものたちなのだと

 

(ブログより抜粋)

 

 

 

 

 

残されたものは

”受け入れる”という体験を人生で

決めてきた

 

 

 

 

そう。父の死を”受け入れた”

 

 

 

 

もちろん当時は余裕すらなく

考えられなかったけど

 

 

 

 

決めてきていたんだね、私も家族も

 

 


 

生も死も全てはひとつ

ソース(源)は繋がっている

 

 

 

 

命とはその時その瞬間のもの

永遠でないということ

 

 

 

 

だから

 

 

 

 

今この瞬間、自分を愛そう

今この瞬間、隣の人を愛そう

今この瞬間、自然の恵みに感謝しよう

今この瞬間、与えられた命に感謝しよう

 

 

 

 

生きている今しかできないことを

精一杯しよう

 

 

 

 

 

 

 

 

それに気づかせてくれた父に感謝します

 

 

 

 

命をありがとう