きのふは颱風の關東直撃に因つて、其の氣壓の變化で私の心臟が悲鳴を上げてしまひ、殆ど何もできずに終つてしまつた。
心臓の調子がだいぶ囘復して來てゐるが、この氣壓の微妙な變化には未だついてはいけないやうだ。
その爲に、きのふは約束してゐたZEROキッズの子供達のミュージカルを中野ZEROホールに觀に行く事ができず佐々木理事長にお詫びの電話を入れさせて戴いた。
この颱風の中でも決行すると云ふ心意氣に何としても行きたかつたが諦めた。
本日は、本來であれば『國柄を學ぶ月例講座』『和歌創作講座』なのであるが、颱風のため中止が決まつてしまひ、本日は體調が戻れば原稿の取組に時間を過ごす豫定にしてゐる。
ただ、何故か未だに心臓の調子が上がつて來ないが、きのふの夜に早めに睡眠を攝つた爲か、やはり三時頃に目覺めてしまつて現在机に向つてゐる。
來週の水曜日二十一日には『復活和歌創作講座』を行ふ豫定なので、其の原稿を完成させなければといふ事と、二十五日に十六日に加藤先生の勉強會グループと御一緒に修善寺温泉での和歌のお話をさせて戴く事になつてゐるので、其の原稿作りにも取組みにも取り懸かるつもりである。
今朝、御紹介させて戴くのは修善寺温泉での和歌のお話のテーマである「樂しい和歌道歌敎戒歌」といふ冒頭に採り上げる室町時代の一休禪師の道歌を紹介します。
◇ ◇ ◇
はじめに
南無(なむ)釋迦(しやか)じや娑婆(しやば)じや地獄じや苦じや樂じや
どうじやかうじやといふが愚かじや
「南無釋迦」…「釋迦牟尼佛に歸依するといふこと」。
「娑婆」…「現世の世界」。
「どうじゃかうじゃ」…「どうだこうだ」。
◇ ◇
和歌には「道歌」といふ「人の道を敎へてくれる和歌ども」といふものがあります。言葉を換へれば「敎戒歌」といふ和歌になります。
一休禪師が私は道歌の祖と考へてゐます。それらの樂しい道歌の數數から紹介します。
冒頭の道歌は、有名な一休禪師の作られた和歌になります。坊さんの中でも大德寺の大僧正といふ佛敎の最高權威ともいふべき位の大僧正まで上り詰めた一休禪師は、當時の佛敎の墮落を歎きて逆説的に佛敎など頼ると更に迷はせてしまふぞと詠つてゐるのです。
一休さんの面目躍如といへる和歌ではないでせうか。けさは、そんな一休さんの道歌の幾つかを御紹介します。
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【道歌の祖一休禪師】 室町時代 僧侶
釋迦といふいたずら者が世に出でて
多くの者を迷はするかな
【歌意】佛敎の最高權威釋迦を此程逆説的に批評してゐる和歌を見た事がありません。
其の眞意は如何。
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《一休禪師》 (室町時代)
臨済宗の禪僧・後小松天皇の皇子。
一休禪師は、室町時代に活躍した大僧正ですが、後小松天皇の御落胤であつたとも言はれてゐます。當時に於ては、佛敎が堕落して形骸化してしまつてゐましたが、その警鐘の爲に批判や諷刺を行つてゐたのではないかと考へられます。
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女をば法(のり)の御藏(みくら)と言ふぞ實に
釋迦(しやか)も達磨(だるま)もひょいひょいと生む
「法の御藏」…「眞理の蔵」。
「達磨」…「達磨大師・最高の禪僧」
【歌意】女性といふものは一切の眞理を内藏してゐる法の藏のやうなものである。それが證據に釋迦も達磨もひょいひょいと生んでしまふではないか。
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門松は冥途の旅の一里塚
めでたくもありめでたくもなし
「門松」…「お正月は」。
「冥土の旅」…「死ぬまでの一生」。
「一里塚」…「目標過程の一つの段階」。
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生きば生きん死ななば死なんと思えただ
その行き先は有無にまかせて
「生きば生きん死ななば死なん」…「生きるとか死ぬとかは死のうと思へ」
「その行き先は」…「その行く先が(地獄にならうが極樂にならうが)」。
「有無にまかせて」…「有らうが無からうがどちらも任せてしまつて」
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金銀は慈悲と情と義理と恥じ
身の一代につかふためなり
《歌意》お金や財産は、人や世の中の役に立つことに、使ふべき時に使ひ、人の役に立たないことや己れの我欲の爲に使ふものではない。そして、その財産は自分一代で使ひ切る事である。「子孫に美田は遺さず」である。
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心こそ心まどはすこゝろなれ
こゝろに心こころゆるすな
「心まどはす」…「心惑はす」。
「こころゆるすな」…「心許すな」。