本日は『復活和歌創作講座』を行ふ事になつて居るが、何故か鬱狀態に心が陷つてしまつてゐる。多くの方々に支へられて是迄生きて來たのだが、この鬱狀態になると孤獨感と自分の能無し、才無しに心が陷つてしまふ。
 こんな時は、ひたすら御歴代天皇全御製データ化打込作業に少しの間没頭するしかない。
 日曜日に、若い方々と勉強會を行つて歸宅してから、何故か仕事に取組む氣持ちにならなくなつてしまつた。特に月曜日には、仕事をやる氣が全く起きなかつた。きのふは、漸くいつも通り、御歴代天皇全御製データ化打込作業を二時間程取組む事が出來てゐたが、けさは何故か心が鬱狀態になつてゐます。まあ、起きてから先程まで御歴代天皇全御製データ化打込作業を行つて何とか仕事に取組む氣持ちが湧いてきてゐる。
 まあ、二つの『和歌創作講座』資料作りも終り、京都での『先代舊事本紀勉強會』『詠歌本紀』の資料作りに着手してゐるが、その他にも「やまとことば勉強會」を始めとする古代日本語の勉強會にも力を注いでゐるが、その爲の勉強會の數も增えて來てゐる。月末には、講演を一つ恃まれてゐるが、そちらについては、テーマが先月の講演の内容と略ゝ一緒なので若干の手直しを書けるだけなので京都より歸京してから行ふことにしてゐる。
 執筆についても『明治天皇御製に學ぶ日本の心~明治憲法制定』をできるだけ早く完成させたいが、時間的に一日に一時間程しか取り組めないのが惱みではある。
 その他にも『萬葉防人和歌巻二〇謹解』の取組、今月の『復活和歌創作講座』から始める『天皇祭祀』についての資料集めと論考作り。特に私の「天皇祭祀」の原點である今泉定助先生の思想論文の確認を行ふつもりで勉強をしてゐる。
 亦、本居宣長の『玉鉾百首謹解』についても今年中に完成させたいと思つてゐるが、中中進まない。先週内野先生との勉強會で『孝明天皇御製に學ぶ日本の心』を完成させるやうにお願ひされたが、更に時間を割く事になりさうだ。
 けふから、八咫烏の末裔についてを調べる豫定にしてゐる。今月の京都での『先代舊事本紀勉強會』『詠歌本紀』は、「八咫烏」についてを勉強する豫定にしてゐる。
 現段階まで分かつてゐるたたき臺資料を御紹介させて戴く。
 
 ◇ ◇ ◇
 
《其廿七》  (國立公文書館『詠歌本紀』巻六十二)16p
【八咫烏(やたがらす)(頭八咫烏)】
 橿原宮御宇天皇企東征治中國始
 立皇極新知天下其功天皇造化也時八咫烏讃之
大神之命畏忌行軍皇極乎初立只然御門御名立御法立

我天皇者日識于坐共
【讀み下し文】
 神倭伊波禮毘古命の御世に東征を計畫を立てて
 葦原中國を治めむとされて、皇位に卽かれて
大神の命(みこと)畏みいくさ鳥
天津日嗣(あまつひつぎ)を初たたし 
御門(みかど)御名(みな)立ち御法(みのり)立ち
我が天皇(おほきみ)は日知りに坐すも

《八咫烏について》
 神武天皇が、熊野の荒坂津(錦浦)にて危機に陥つて、道に迷つた時に高天原から天照大御神から道案内の神として送り込まれた烏の化身の神。

神名  建角身命(たけつぬみのみこと) 
(由緣)
※紀元前33年熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の神紋が八咫烏。
 熊野三山は、熊野本宮大社では祭事の中で「八咫烏神事」が齋行されて居ます。
 其の創建は崇神天皇65年と傳へられてます。又、拜殿の横には八咫烏のレリーフもあり、
 この熊野本宮大社が八咫烏を重要な神としてゐると思はれます。
※『日本書紀』では、熊野に天照大御神の使神として先導神として出で來る。
※『古事記』では、高木神(高皇産靈神)によつて神武天皇の先導神として出で來る。
※『山城風土記(逸文)』では、八咫烏が神武天皇の役割が終つた後、山城國賀茂に移つた。
 「賀茂建角身命と伊賀古夜比売命の御子に、玉依比古命は賀茂の縣主となり、
 玉依比賣命が上賀茂神社の祭神賀茂別雷命を生み奉つた」とある。
※飛鳥時代のキトラ古墳(奈良縣明日香村)の天井の天上圖に三本足の烏が出て來る。
※『古語拾遺』(平安時代初期)では、賀茂縣主の遠祖となつてゐる。
※『姓氏錄』(平安時代初期)の「山城神別」には、山城國の賀茂に住む神。賀茂縣主の祖。
 「神魂命の御孫の鴨建津見命のことで、大鳥と化して天皇を導く」とある。
※「八咫烏」は、平安時代初期に書かれた『新撰姓氏錄』(815年)には、
 「高木神(高皇産靈神)の曾孫である建角身命(たけつぬみのみこと)の化身である」とある。
※平安時代の『倭名類聚抄』(930年頃)にて、源順が「三本烏は八咫烏に違ひない」と
 述べてゐる。
※『日本書紀』『古事記』には、八咫烏が三本足であると云ふ記述はない。
※日本サッカー協會のシンボルとして八咫烏(三本足)が使はれてゐる。
 
【八咫烏の名前】
  「大きな烏」といふ意味になります。
「八咫」…
 「(咫)は長さの單位で六寸(18㎝)。(八咫)は八倍の四尺八寸(144㎝)」
「八咫烏」…
 「四尺八寸(144㎝)の大きな烏といふこと」。
 「咫」は「手を廣げた時の拇指から中指までの長さ」。
「八咫烏」…
 「導きの神。神武東遷の折高皇産靈神(たかみむすびのかみ)より
  神武天皇を熊野國より大和國への道を導く爲に遣された烏の象をした神。
 三本足の姿で知られる。子孫は葛野(かどの)主殿(とものり)縣主(あがたぬし)となつた。熊野三山では(御先神(みさきがみ))とされてゐる」。
※「八咫烏」は、神名としては
「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」「武角身命(たけつぬみのみこと)」「八咫烏大神」になる。
「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」は上賀茂神社、下鴨神社の御祭神である。(京都市)
「武角身命(たけつぬみのみこと)」は、八咫烏神社での神名。(奈良縣宇陀市榛原高塚) 
「八咫烏大神」は、「阿倍王子神社」での呼び方とのこと。(大阪市阿倍野區)
(八咫烏を祀る神社) 
○熊野本宮大社(和歌山縣田辺市) ○熊野那智大社(和歌山縣那智勝浦町)
○熊野速玉大社 境内 八咫烏神社(和歌山県新宮市新宮1)
○八咫烏神社(奈良縣宇陀市榛原高塚) ○弓弦羽神社(兵庫縣神戸市東灘區) やたがらす
○上賀茂神社(京都市北區上賀茂本山) ○下鴨神社(京都市左京區下賀茂泉川町)
八咫烏神社(奈良縣宇陀市)…
御祭神が、建角身命(たけつぬみのみこと)。ヤタガラスは、建角身命(たけつぬみのみこと)の化身であると言われている。
賀茂御祖神社(かもみおやじんじや)(京都市左京區)御祭神が、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)(建角身命(たけつぬみのみこと))
○阿倍王子神社(大阪市阿倍野區)

【鴨縣主本系逸文】新撰姓氏録残簡「新撰姓氏録の研究考証編」より
鴨縣主の本系。賀茂縣主と同祖。神魂命の孫、建津之身命の後なり。日本磐餘彦天皇(諡は神武)、中洲に向まさんとする時に、山の中險絶しく、踏みゆかむに路を失ふ。ここに神魂命(かむたまのみこと)の孫、鴨(かも)建(たけ)耳(みみ)津(つ)身(みの)命(みこと)、大きなる烏と化如(な)りて、飛び翔けり導き奉りて、遂に中洲に達る。天皇其の功有るを嘉したまひて、特に厚く褒め賞ふ。天八咫烏の號は、此れより始りき。因りて葛野縣を賜りて居れり。男、玉依彦命(たまよりひこのみこと)の十一世孫、大伊乃伎命の男、大屋奈世、若帶彦天皇(わかたらしひこのすめらみこと)(諡は成務)の御世に、鴨縣主に定め賜ふ。男、荒熊。男、秋、男、荒木、男、長屋、次に多々加比。長屋の男、麻作等なり。

 ちなみに下鴨神社社家の鴨脚家に保存されてゐた「鴨縣主本系逸文」には、建津之身命は神武東遷の功を賞されて「葛野縣を賜りて居れり」とあり、日本紀に「頭八咫烏、亦賞の例に入る。其の苗裔は、即ち葛野主殿縣主部是なり」とある記述は、このやうな傳説を採用したと考へられる。

※八咫烏を祖とする賀茂氏の末裔が奈良縣御所市に現存されてゐるとの事である。