漸く、體調が戻り始めてゐる。一昨日土曜日に熱中症に罹り寢込んで居たが、やつと普通通り起きることが出來た。
 流石に、この二日間は生命の危險を感じる程の熱中症であつた。
 土曜日は、午前中歯科治療と眼科診察に行つたが、眼科治療で瞳孔を開いた隨で眩しい暑さの中で動き囘つたせいで熱中症に罹つた。
 取敢へず、午後から内野先生との勉強會を終へて自宅に戻る時、心臟まで苦しくて奴と家に戻つたが、動けなくなりベッドに横になつて休養したが、翌日の日曜日でも體調が戻らず、今朝まで充分な休養を取つた。
 今月は、六月五日のやまとことば勉強會を皮切りに本當に慌ただしい時間を過ごさせて戴いた。
 八日には、國語問題協議會春の「春の國語講演會」での講演で「和歌と日本語」といふ題でお話させて戴き、翌週十五日は、平和研主催の『國柄を學ぶ月例講座』で「雨」をテーマに『和歌創作講座』をさせて戴き、翌日十六日は、日本会議中野支部主催の葛城奈海さん講演會で十五分程「和歌と皇室」といふテーマでお話をさせて戴いた。
 そして、先週の十九日は中野にて傳承文化研究所主催の『復活和歌創作講座』を行つた。
 今週は、二十七日(木)から、六月晦日の大祓神事のために心を淸淨にする伊勢神宮正式參拜。その日のうちに京都へ。
 二十八日は、京都三上邸にて『先代舊事本紀詠歌本紀勉強會』を行ひ、翌日の午前中の新幹線で歸京して、大祓神事の準備を行ふ。
 先週まで相當タイトな日々となつて疲勞もだいぶ蓄積してゐたので、今囘の熱中症は丁度良い休養となつた。
 和歌の講座での「雨」をテーマにした講座資料の一部をここに紹介しておきます。


《第三講座》日本人が愛してきた雨

《日本人が愛してきた雨》
【上皇后陛下御歌】  
 御題「平成」 平成二年
平成の御代のあしたの大地(おほつち)
 しづめて細き冬の雨降る


「御代のあしたの」…「(朝)と(未來)を重ねてあります」。
「大地を」…「この地球上のこと」。

 昭和天皇の崩御によつて上皇陛下が踐祚された年の作品。
 この上句の壯大さ。悠久の歴史と未來を貫ぬく新たなる御世の始まりを「雨の淸淨さ」と共に謳ひ上げられた歴史的名歌であらうかと拜察します。
 ◇ ◇ ◇
 六月(水無月)は、入梅の時期で雨の多い季節に當ります。「雨」は、本來日本人に愛され續けてきた事象の一つです。現代では、殘念乍ら日本人の殆んどが「雨」に對して餘り佳いイメージを持つてゐないやうに思ひます。これは私見ですが、その原因として、日本人が「雨の語彙」を戰後極端に喪(うしな)つてしまつたことによるのではないかと思へてなりません。
 本來、「雨は自らの穢れや汚濁を洗ひ淸めてくれる」といふ考へ方を私達の祖先は持つてゐました。その源流には、「一切のモノは神の恩恵である」といふ民族思想がありました。それ故に「雨」に對しての表現を澤山持つことができたと思ふのです。このやうな民族はどこにもありません。それらの總べては御紹介できませんが、一部を別表にして纏めてみましたので御覧になつて見て下さい。この「雨」の數多の表現を使つて自分の心を雨の歌に寄せて來たのが私達の祖先になります。私は萬葉時代初期に於ける雨の表現に強い衝撃と感動を覺えさせられました。
 それは、「雨」を「山のしづく」と詠ひます。「山のしづく」。「山のしづく」は「雨」であり「涙」なのです。何と美しい表現でせうか。
 これが日本人の感性ではないかと思ふのです。巻二にある大津皇子と石川郎女(いしかわのいらつめ)の相聞歌にそれがあります。

 【大津皇子】   『萬葉集』 巻二 107
あしひきの山のしづくに妹(いも)待つと
 我れ立ち濡れぬ山のしづくに 

「あしひきの」…「山の枕詞」。
「山のしづく」…「雨」。
「妹」…「愛しい戀人」。

 【石川郎女(いしかわのいらつめ)『萬葉集』巻二108
我(あ)を待つと君が濡れけむあしひきの
 山のしづくにならましものを

「濡れけむ」…「濡れてしまつて居る」。
「ならましものを」…「なりたかつたのに」。
 「雨」を「山のしづく」と表現するその感性の素晴らしさを歌を作るに當つて私達は意識しなければならないかも知れません。

【日本語に於ける雨の表現】
 日本では、樣樣なものに對して表現が數多の如く存在します。例えば何萬もある「色」。
四季の移ろひの中で美の心を生み出してきた樣樣な傅統色。數限りない色の「和名」。生活の中で多彩な色合いを採り入れて、繊細な色の世界を創り出して來ました。
 これと同じやうに、「雨」についても日本語には四百種以上も表現があります。私達の祖先は日々の生活の中で雨の違ひを敏感に感じ、美を見出して豐かな情趣を以て愛(め)で雨の表現を生み出してきたのでした。日本では古來より淸廉を何よりに大切にし、雨が淸め流してくれてゐるといふことも表現を豐かにしてくれたのかも知れません。

《降り方による雨の表現》
  (他にもありますので調べて見て下さい)   37
「村雨」 この雨は、降り出してすぐに止み上る雨のこと。
    百人一首「村雨の露もまだひぬまき原に霧立ちのぼる秋の夕暮れ」
「霧雨」 霧のやうに細かい雨のこと。
「こぬか雨(小糠雨)」 糠(ぬか)のやうに非常に細かい雨が靜かに降る様子。
「地雨(ぢあめ)」 餘り強くない雨が広範囲に降る様子のことを云ふ。
「小雨」 弱くて短時間に降る雨のこと。
「大雨」 大量に降る雨のこと。
「豪雨」 激しく大量に降る雨で、著しい災害を發生させる大雨現象をいふ。
「飛雨(ひう)」 風まじりの激しい雨。
「風雨」 風を伴つた雨のこと。
「長雨(ながあめ)」 長く降り續く雨のこと。(永雨(ながあめ))とも書く。
「翆雨(すいう)」 靑葉に降りかかる雨。綠雨(みどりあめ)。麥雨(むぎあめ)。
「綠雨(みどりあめ)」 新綠の頃に降る雨のこと。
「淫雨(いんう)」 梅雨のやうにしとしとと長く降り續き止まぬ雨のこと。
「俄雨(にはかあめ)」 降り出して直ぐに止む雨のこと。降つたり止んだり。強さの變化も激しい雨。
「驟雨(しゆうう)」 にわか雨のこと。「肘傘雨(ひぢかさあめ)」ともいふ。
「夕立」 夏に降る俄雨のこと。
「狐の嫁入り」陽が照つてゐるにも拘らず降る夕立のこと。
「白雨(はくう)」  雨脚が白く降る夏の夕立のこと。
「神立(かむだち)」  神様が何かを傳へる「雷」を指す言葉から、夕立、雷雨の別名。
「甘雨(かんう)」  草木を始めとして總べてを潤してくれる雨のこと。
「瑞雨(ずいう)」  穀物の生長を助けてくれる雨。
「慈雨」  惠みの雨
「微雨(びう)」  降つてもすぐに上がつて地面が乾いてしまふ雨。
「細(さい)雨(う)」  しとしとと靜かに降る雨のこと。
「通り雨」 降り出してもすぐに止んでしまふ雨のこと。
「天氣雨」 晴れてゐるにも關らず降つてゐる雨のこと。殆どの場合虹を伴ひます。
「涙雨」  悲しみのうちくれる涙をいふこともあるが、少しだけ降る雨もいふ。
「私雨(しう)」  限られた地域だけに降る雨のこと。
「私雨(わたくしあめ)」 ある限られた地域だけに降る雨のこと。
「外待雨(ほまちあめ)」 局地的で、限られた人達だけを濕す雨のこと。
「雷雨」  雷を伴つて降る雨のこと。
「寒九(かんく)の雨」 小寒に入つて(寒に入るともいふ)九日目に降る雨。豐作の兆し。
「紅雨(かうう)」  花が咲いてゐる時期に降る雨のこと
「鬼雨(きう)」  鬼の仕業かと思ふやうな並外れた雨のこと。最近ではゲリラ豪雨といふ。

《季節を表はす雨の表現》
(春の雨)  6
「春雨(はるさめ)」 春の季節にしとしと降る雨のこと。
「菜種(なたね)梅雨」 三月から四月の菜の花が咲く頃にしとしとと降る雨。
「發花雨(はつかう)」  二十四節氣の「淸明」の頃、軟らかく静かに降る雨。
 ※「淸明」 二十四節氣の五番目「三月節」。(二月後半~三月前半)
「桃花(とうか)の雨」「杏花雨(きやうかう)」 「發花雨」の別名。桃の花に降る雨が、遠目では火を發して
           ゐるやうに見えることが語源。
「催花雨」 三月下旬から四月上旬に降る雨。櫻を始め樣樣な花を咲かせることから。
「卯の花腐(くた)し」 舊曆の卯月に降り續く長雨。卯の花を腐らせるほど續く長雨のこと。
「五月雨(さみだれ)」 その昔は梅雨の季節を表はした語。現代では五月にまとまつて降る雨。

(夏の雨)  8
「梅雨」(暴れ梅雨・送り梅雨・歸り梅雨)
「洗車雨(せんしやう)」 七夕の前日、七月六日に降る雨のこと。
「酒涙雨(さいるいう)」 七夕に降る雨のこと。雨で遭えなくなつた織姫と彦星が流す涙と傳はる。
「催涙雨(さいるいう)」 「酒涙雨」の別名。
「靑葉雨」 夏に降り草木を艶やかに見せる雨。
「夕立」 夏に降る突然の雷雨のこと。「白雨(はくう)」ともいはれる。
「喜雨」  草木が萎れて枯れてしまひさうになつた時に降る雨。
「御山洗」 富士山が閉山する陰暦の七月廿六日頃の雨。

(秋の雨)  9
「秋入梅(あきにゆうばい)」 秋雨のこと。或は「秋雨の入り」のこと。
「秋雨(あきさめ)」 秋にしとしとと降る長雨のこと。
「秋霖(しゆうりん)」 秋の長雨のこと。初秋の頃に降ります。
「秋濕(しめ)り」 「秋霖」の別名。秋の長雨のこと。
「時雨(しぐれ)」 あまり強くない秋に降る降ったり止んだりする雨のこと。晩秋の頃。
「村時雨」 一頻り強く降つて通り過ぎてゆく秋の雨。
「片時雨」 一個所にだけ降る村時雨のこと。
「横時雨」 横毆りに降る村時雨のこと。
「伊勢淸めの雨」 神嘗祭が執り行はれる陰暦9月17日の翌日に、祭祀の後を清める雨。
(冬の雨)  7
「冷雨(れいう)」 冷え冷えと降る晩秋の雨。
「液雨(えきう)」 初冬に降る時雨のこと。立冬のすぐを入液、二十四節氣の小雪を出液と呼ぶ。
「氷雨(ひさめ)」 冬に降る冷たい雨のこと。霙(みぞれ)などを云ふ場合もある。
「寒(かん)の雨」 寒の内(大寒から節分まで)に降る雨のこと。
「鳴神(なるかみ)の雨」 雷を伴ふ雨の別の表現。
「山(さ)茶(ざん)花(か)梅雨」 11月から12月頃に見られる、しとしとと降り續く雨のこと。
「鬼洗い」 大晦日に降る雨のこと。
     語源は「鬼遣らい」から、「追儺」といふ宮中の年中行事に由來する。

《その他》  4
「利久(りきゆう)鼠(ねずみ)の雨」 暗い綠に灰色を塗(まぶ)したやうな雨のこと。
 ※「利休鼠」とは 千利休と緣の深い抹茶の黒ずんだ緑色から出た言葉。
「山のしずく」  雨と涙の表現。
「天(あま)の露」 雨の表現。
「天の涙」 雨の表現。

【雨の香について】 
【上皇后陛下御歌】 御題「広島」 (平成七年)
被爆五十年広島の地に静かにも
 雨降り注ぐ雨の香(か)のして

【御心を推し量る】
 この御歌は、上皇后陛下が平成六年廣島を訪れられて、その時の感慨を詠じられたものになります。平成六年(1994)七月二十七日、廣島に行幸された両陛下は、雨の中で原爆死没者慰靈碑に御供花されました。
 「雨の香」とは如何なるものか。「雨」に香りがあるといふこの御表現は、私の知る限り皇后様のこの御歌が初めてではないかと拜察します。支那の唐の時代に漢詩に「依微たる香雨」といふ詩句があり、香雨といふ言葉は使はれてゐる例はあります。しかし、「雨香」と謂ふ表現ではありません。日本の古典にもその雨の表現は、斷言しきれませんが無いやうに思ひます。
 萬葉歌にもありません。皇后様の御歌を拜詠してゐると數多くの獨自の美しい言葉の展開を見ることが出來ます。風情のある優しく靜々と降る雨のことを云ふのではないかと思ひます。


《和歌創作》
《「雨」の和歌創作用語彙並縁語》
「雨降らば」「長雨の」「五月雨」「涙雨」
「ゆふだち」「村時雨」「氷雨」「涙雨」
「久方の雨」「しき降る」「降りなづむ」
「しくしく降るは(に)」「うち降らば」
「雨隱(こも)り」「雨障(さは)み」「間なく降りそ」
「いたくな降りそ」「ひづちなむ」
「鳴神の」「天の露」「雨晴れて」
「水無瀬川」「はなはだに」「干(ひ)なくに」
「激つ流れに」「しとど降る」「慈雨」
「山のしづく」「雨に添ひ」「戀時雨」
「立ち濡れ」「濡れけむ」「心いぶせみ」
「降りなづむ」「雨隱り」「瑞雨」
「春雨の」「うらさぶる」
「あだにふる」「うちそぼちつつ」


【小林隆試詠「雨を詠ふ」】
(涙の美學を詠ふ)
我祈る願ひの絲の細くして
 あだに降る雨うちそぼちつつ

哀傷(かな)しみのかぼそき戀ひ雨なみだ雨
 愛(うつく)し人に戀ひわたるかも

雨隱り花のかたみの色みえね
 か細き雨は野邊のふる道

夏まけてしくしく降るや五月雨(さみだれ)の
 心いぶせく人や戀ひしき
「夏まけて」… 夏になつて來て。

(侘び寂びを詠ふ)
うつろひのゆらめく心に惑はされ
 淫雨(いんう)しき降るうらさぶるわれ
 
(淸淨を詠ふ)
今こそは國の穢れと民の禍(まが)
 あらひ流せやみなづきの雨
慈雨そそぐ日々に氣づかぬ國民(くにたみ)に
 目覺めの瑞雨(ずいう)降るをねがひぬ

慈雨そそぐ日々に氣づかぬ國民(くにたみ)に
 なりし戰後はかなしかりけり 

雨よ雨汚穢(おぎ)なる言の葉洗ひ流し
 淸明(きよ)らで無垢なる國にもどせや

五月雨に石苔のみどりうるほひて
 さやかにみよと露ぞ置きける

鳴神(なるかみ)の遠近(をちこち)響(とよ)みて綠雨(みどりあめ)
 降らば濡れつつ家に歸らむ

玉の露しとど降りけり天地(あめつち)の
 淸淨(きよ)めてみどり心に沁むる