けふは『皇居東御苑觀櫻和歌の會』を開催させて戴く。コロナ前までは開催してゐたが、五年ぶりの開催になる。
もう二度と開催出来ないと思つていただけに、今囘は松屋さんといふお手傳いをして下さる方々の御陰で開催出来ることとなつた。本當に感謝である。
まあ、今囘も私自身が愉しんでくるつもりで行ふ。
皇居の櫻は、見應へがあり、しかも今日當り滿開の眞つ只中といふことであらうかと思ふ。一番良い時期に開けるのは嬉しいことだ。
ただ、今朝は輕いギックリ腰の症狀が出てきてゐて、湿布を行つて慎重に動くことにしてゐる。
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令和六年皇居東御苑「觀櫻和歌の會」本資料
開催 令和六年四月八日(日)午前十一時半~午前三時
會場 皇居東御苑北桔橋門より入場した本丸跡芝生にて。
草稿 傳承文化研究所 小林 隆
【後醍醐天皇御製】 (『新葉集』春下83)
ここにても雲井の櫻咲きにけり
ただ假初めの宿とおもふに
「ここにても」…「此處であつても」。
「雲井の櫻」…「宮中の櫻」。
※參集場所地下鉄東西線竹橋駅毎日新聞社側改札口午前十一時集合
【和歌創作の會次第】
一、皇居北桔橋門より入場
一、天守台前大奥跡芝生で各自持参の辨當食事會
一、「櫻の和歌のお話」
一、皇居東御苑内櫻の観賞
一、櫻の和歌の創作
一、創作和歌添削
一、終了
《皇居東御苑について》
皇居東御苑は、昭和43年から昭和天皇の御心に據つて一般公開されました。
苑内は綠豐かで皇室關聯の施設、江戸城天守台や歴史的史跡、日本庭園等があり、特に櫻を始めとする多くの草木樹があつて私たちの心を癒やしてくれます。先日、春期皇居乾通り一般公開では三月二十三日から三十一日の九日間で十萬人の入場者が來場しました。櫻が咲いていない時期であつても此程澤山の方々が皇居を訪れてゐます。
(皇居關聯施設)
宮内庁書陵部・三の丸尚藏館・桃華殿樂堂・宮内庁樂部庁舎
(江戸城遺跡)
天守台・松の廊下跡・富士見櫓・同心番所・百人番所
本丸跡・大奥跡・二の丸跡・諏訪茶屋
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【後鳥羽院御製】
春雨も花のとだえぞ袖にもる
櫻つづきの山の下道
「花のとだえぞ」…「花の途切れである」。
「袖にもる」…「袖に散り積る」。
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春爛漫。四月は門出の月で私たちの心を彈ませてくれます。そして、その春の訪れは自然の芽吹きや梅、桃、櫻の花々が咲き濫れることによつて知る事ができます。
その中でも特に櫻花こそ日本人が最も愛し續けてゐるものです。
平安時代を代表する歌人在原業平が、
「世の中にたえて櫻のなかりせば
春の心はのどけからまし」
と詠ひました。皆さんと共に春爛漫の謳歌を作つて見たいと思つてをります。
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《宣長の語る和歌造りの心構へ》
本居宣長は、僅か一晩で『枕の山 櫻花三百首』といふ櫻の和歌を作り上げてゐる。
「宣長といふ人が、どんなに櫻が好きな人であつたか、その愛着には、何か異常なものがあつた事を書いて置く。」(小林秀雄著『本居宣長』より)
「本居宣長」 (『枕の山 櫻花三百首』より)
わが心やすむまもなくつかれはて
春は櫻の奴(やつこ)なりけり
「櫻の奴」…「櫻の下僕のやうに振り回されること」。
櫻花ふかきいろとも見えなくに
ちしほにそめるわがこゝろかな
「ふかきいろとも」…「深き色とも」。
「ちしほにそめる」…「血潮に染める」。
めづらしきこまもろこしの花よりも
あかぬいろ香は櫻なりけり
「こまもろこし」…「高麗唐土。外國の」。
「あかぬいろ香」…「飽きない色香」。
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「世の中にありとしある事のさまざまを、目に見るにつけ耳に聞くにつけ、身に觸るるにつけて、その萬の事を心に味(あじは)へて、その萬の事の心をわが心わきまえて知る、これ、事の心を知るなり、物の心を知るなり、物の哀れを知るなり」(『石上私淑言(いそのかみささめごと)』)
つまり、物事の本質を深く捉える心の構えとして、主客一體の感情の移入、共感が大切だといふのです。
「されば、物のあはれをしる人を心ある人といひ、しらぬを心なき人といふなり」
櫻を愛でるといふことは「物のあはれを知る」といふことに一直線の道に思へます。
日本人の自然に對する懷ひは、一切に神を觀る八百萬神思想と一直線に繋がつてゐます。
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『日本人の心の眼差し』 ~ ポール・クローデル(佛)
「私は日本の心の傅統的な特徴というのが、尊敬心であり、敬意を払うべきものを前にして個性をおし縮めることであり、周りを取り巻く存在や事象にうやうやしい心配りを払うことなのだと理解できた気でおります。(中略)
日本人は、自然を屈服させるよりは自然に加わります。自然の行事に與(あづか)り自然を見てそれと同じことをします。自然の言葉と装いを補つて、同じ時を生きるのです。人間と自然の間にこれほど緊密な知性が存在し、お互ひの刻印をこれほど目に見える形で記し合つてゐる国はどこにもありますまい。」(『天皇国見聞記』より)
右の文章は、關東大震災の頃にフランスの駐日大使ポール・クローデルが、日本人の本質について述べたものです。この中でクローデルは、「自然の言葉と装いを補って同じ時を生きるのです」とありますが、これこそが日本の言葉文化「和歌」に繋がつてゐると私は考へてゐます。
「自然の言葉を聞き取り、それに感應して詠ひ上げる」。
これが和歌に於ける自然詠の究極の姿であり、眞髄でもあります。
【拙歌】
《櫻、待ちわびて》
梅の花散り初むるに櫻花
つぼみ堅かり春や遠けり
堅かりし蕾ひらくを待ちかねて
春の陽射しに願ひをかける
嚴寒のきさらぎ櫻にかさぬるは
吾が歩み來し道の長さか
竹橋の寒緋櫻のふくらむに
華ひらかぬ今にこころさみしも
《春の奴》 (以下令和五年以前詠)
梅ヒララ櫻つぼみをこきまぜて
春の奴となりし今かな
嗚呼(ああ)さくら櫻さくらは咲き初(そ)めて
春の奴(やつこ)に我れはなるらん
《花 宴》
花萌(も)えて心の炫火(かぎろひ)のぼり立ち
春のうたげにいざや向はん
見渡せば淡くれなゐに見ゆるかな
燃えたつ春邊(はるべ)の月夜(つくよ)清(さや)けく
《玉鉾の道》
戀ひ死なば戀ひ死ぬるかも玉鉾(たまほこ)の
櫻が道に悔やむことなし
《華の炎(かぎろひ)》
さかづきに花をそそぎて呑みほさん
かぎろひ胸に燃えたたせつつ
《櫻海》
世の中のなけき忘るる今がとき
染井吉野(そめいよしの)の海に泳ぎて
(以下略)