きのふは、午前九時に松屋さんと向畑さんと待合せて、宮内庁書陵部閲覧撮影作業を行つた。
 向畑さんが宮内庁書陵部で何を閲覧撮影作業をして戴くかをお話合ひをして、鹿持雅澄の『萬葉集古義』原本百四十巻を彼女にはやつて戴く事となつた。
 この『萬葉集古義』は、『萬葉集』本文の註釋總合研究書で、天保年間に完成したもので、明治天皇の勅命で明治十三年に宮内省より刊行される。
 内容的には、本文の解釋、枕詞、人名、地名、歌格、語法、語彙等の研究を集大成した萬葉研究の究極と私が考へてゐる書物であり、これについては、私には時間が無いため勉強を諦めて居たものなのだが、若い向畑さんが出て來て下さつた御陰で閲覧撮影作業に漸く着手出來さうで嬉しい。
 皇居内は櫻も漸く開花して、華やかな雰圍氣に包まれてゐた。今週の日曜日は、この東御苑にて令和六年度觀櫻和歌の會を行ふに滿開の中で行へるかも知れない。
 宮内庁書陵部では、平和研の機関誌『湊合』創刊號を併せて奉獻させて戴いてきた。
 今囘の宮内庁書陵部閲覧撮影作業が、三人で行へた御陰か、豫定してゐた平安時代初期の『宇多天皇實錄』と『昭憲皇太后御集稿本』明治三十六年が午前中に終へる事ができた。
 やはり、夫々手分けして行ふと早く終る事ができる。
 
 ◇ ◇ ◇
 
 戰國時代の和歌で素晴らしい歌を見つけた。私の餘り知らなかつた「杉原賢盛」といふ武將が詠じたと云ふ事で少し調べて見たが、なかなかの人物で、憂國の條の溢れた和歌が此頃に作られてゐた事にとても感銘した。
 
 ◇ ◇ ◇

 「杉原賢盛(宗伊)」  (戰國時代)
神代よし人の世よしとつぎつぎに
  なほ守りませ葦原の國


【杉原賢盛について】
 戰國時代の武將・連歌師。連歌師名は宗伊。
 足利義政の近習五番衆の一人。兵庫助・伊賀守を稱する。
 能阿弥のあとを繼ぎ連歌宗匠飯尾宗匠となる。
 宗祇との『湯山両吟』が知られ、『竹林抄』『新撰菟玖波集』に入集してゐる。
 句日記『諸家月次連歌抄』がある。
 文武に優れ、一休宗純に參禪もした。
 文明十七年(1485)歿。六十八歳。