けふより彌生三月です。
 この「彌生三月」の由來は、「彌々生ひ茂る」といふ事です。
 冬の厳しい季節を乗り越えて、自然が活性化して草木も生命の芽吹きの活動が盛んになる季節が三月といふことです。
 又、三月の別名としては次のものがあります。
《彌生三月の別名》
「櫻月・さくらづき」「雛月・ひいなづき」
「花見月・はなみつき」
「早花咲月・さはなさづき・さはなさきつき」
「桃月・とうげつ」
「嘉月・かげつ」(芽出度く嬉しい月)
「蠶月・さんげつ」
「夢見月・ゆめみづき」(櫻の別名夢見草から)
「染色月・しめいろづき」
 
 ◇ ◇ ◇
 
【やまとことば勉強會】

《言靈の力が失はれた要因》
 『萬葉假名』に於ける言靈の力が大きく弱まつたのが、『萬葉集』が編纂された頃と想像してゐます。
 それは『萬葉集』に於ける『萬葉假名』の九割以上が訓讀主體表記と完全訓讀表記の二つの表記法で原文は書かれてをり、支那の漢文表記の影響が大きくなつてしまつたことに因ると考へられるからです。
 支那より應神天皇の御世に漢字が傳來し、それによつて漢語文字の普及が浸透するに比例して樣樣な超自然的な記述が激減してゆくのです。
 それは高天原との連繋が斷絶してしまつたことに起因するのではないかと思へるのです。これは飽迄も私の假説ですが、本來の言靈とは神々と繋がる力を有し、その神々の靈威によつて超自然現象を起す事が出來たのではないかと思ふのです。
 但し、「神々と繋がる」といふ事は、古代日本では決して唯一絶對神と繋がる事ではありません。日本に於ける「神」は「ハタラキ」といふ事で言葉を變へたならば、「法則」「原理」といふことです。それが目に見えない靈威となり神といふ事になります。
 その言靈の力が失はれてきた具體的な一つの要因としては、音韻の減少もあると考へられます。記紀萬葉が編纂された頃には、日本語の音韻は五十音ではなく八十八音といふ數がありました。それが時代が降るにつれて減少して五十音となつてしまつたのです。

○萬葉假名發明の頃
  八十八音 → 甲音・乙音
○平安初期
  七十七音 → 甲音・乙音
○平安中期以降
  五十音  → 甲音のみ

 このやうに、音韻が平安時代以降五十音となつてしまつたことによつて、日本語の持つ言靈の大きな力が失はれてしまつたのではないかと思へるのです。いかなればといへば、言靈とは單に書き文字のみでは發揮し得ないのです。言靈は、言葉に波動が伴つてこそ發揮されるものであります。本來八十八音の波動が五十音の波動となつてしまつたことから言靈の力が衰退してしまつたのではないかと私は考へてゐます。
 『萬葉集』も後期に於ては、本來の「萬葉假名」から大きく變遷し、殆ど漢文表記と言つてもいへるぐらいになつてしまつてゐます。現代では表記法總べてを『萬葉假名』としてゐますが、『萬葉假名』は、本來一音一字が本當の相であらうと考へられるのです。つまり『萬葉假名』は「和語」であり、日本人が使用してゐた言語に、支那から入つて來た漢字を當てたものです。もともとは、一字に一音漢字を當てた和語であつた筈です。
 それ故にこの言靈の力が籠もりし言葉は、現代に於ては上代文學(「古事記」・「日本書紀」・「萬葉集」)、祝詞、宣命に若干見出す事が出來るのではないかといふのが、私の假説であります。この言靈の力は、和語と音靈が組合さつてその大きな威力が發揮されるものであると考へられます。