本日で如月二月も終りになります。
 きのふは一日、ゆつくりさせて貰つたが、頭はどうしても三月二日に豫定してゐる『やまとことば勉強會』の打合せの事が惱裡から離れなくなつて、今朝は結局三時から動き出してゐる。
 是迄、御製と古歌の勉強に必須なのは、「和語」つまり「やまとことば」であると考へて、この分野についても出來る限り資料を集めて、その和語に於ける大きな力言靈については、數年前から『言靈覺醒への一私論』といふ論考に取組んで居たので、それも今囘は改めて勉強し直したいとも思つてゐる。
 私の言靈に關する一私論のテーマは「和語は強力な言靈」といふことを根柢に置いて、古代日本人の使つてゐた和語を解明できたらといふ考へてのことである。そして、日本の和歌もそこに考へ方の原點に置かねばならないと云ふことである
 その論考の最初に「和歌は強力な言靈」といふ考へ方の冒頭部分を御紹介する。
 
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一はじめに

 「言靈」とは、広辞苑などでは「言葉に宿つてゐる不思議な靈威。古代その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた。」といふ風に解説されてゐます。
 この考へ方は、日本獨自のもので外國にはこのやうな考へ方は殆ど有りません。この言靈思想と呼べる考へ方の根柢には「森羅萬象一切の事物には神が宿る」と云ふ日本獨自の八百萬神思想が存在します。
 ただ、最近の解釋では「言霊は、森羅万象がそれによって成り立っているとされる五十音のコトタマの法則のこと」と言はれてゐますが、これは或る意味正しいと思ひます。言靈が森羅萬象の成立させてゐるといふ事については、正しくその通りなのです。こゝで言ふところの「森羅萬象の成立」とは、言葉を換へて言つたならば、「生成化育」と云ふことであります。つまり、森羅萬象は、言靈によつて生成化育をされてゐるといふことなのです。そして、この前提として「言靈は、和語によつて構成されるもの」といふ事があります。この和語は、私の考へでは漢字傳來以前より存在して居た純日本語といへるものであります。この和語は、決して五十音にとどまりません。ですから、この解説での「五十音のコトタマ」といふところが違ふのです。
 日本に於て、和語が五十音となつたのは中世期に當る平安時代後期になつてからになります。萬葉時代と言はれる西暦七百年白鳳時代の頃では八十八音の假名を驅使してゐたのが和語になります。これらについては後章に於て詳しく述べさせていただきます。
 私達の祖先である古代日本人は、この和語を驅使して人間同志のコミュニケーションをとると共に神々との交感も行つてゐたと想像できます。そして、和語によつて和歌や祝詞もその神々との交感交渉の手段として使はれてゐたと云へます。それ故に日本語は、本來強大なる言靈の力が具はつてゐる筈のものです。
 この言靈の力は、和語と音靈が組合さつてその大きな威力が發揮されるものです。この和語とは何かといひますと、それは日本獨自の語である萬葉假名がそれに當るものになります。そして、「上代日本語」といふ言葉に言ひ換へることができます。この上代日本語にこそ言靈の大きな靈力が具はつて居るのであります。