本日は、天長節(天皇誕生日)であります。謹んで陛下の更なる聖壽を祈念して心の中で萬歳三唱を行ひタイト思つてをります。また、けふは京都三上邸『先代舊事本紀勉強會』になります。きのふの夜は、中嶋さんが、塚田さんの誕生日プレゼントを渡して欲しいと恃まれてお會ひする事になり、夕食を共にして、お話が彈んで九時過ぎに歸宅したので京都への準備が殆ど出來なかつたので、先程起きて準備を終つたところだ。
 一昨日は、『復活和歌創作講座』を行はせて戴いて、参加者の皆様からは概ね好評であつたと云ふ實感がある。
 この『復活和歌創作講座』も第一回目は、次回の一囘のみとなり、四月には『皇居東御苑觀櫻和歌の會』を行つて、五月から新たなカリキュラムで第二回目を行ふことにしてゐる。
 この後、七時半には、家を出發して東京驛に向ひ、九時半の新幹線で京都に行くつもりである。
 けふは今月の『先代舊事本紀勉強會』の資料の中から一首小解させて戴く。
 
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 「道臣命(みちおみのみこと)
 夷賊(えびす)の餘黨(あまりたむら)多くて面(おも)では服(まつら)ふも裏(うら)ち讎(あたなふ)也。
 天皇(すめらみこと)、道臣君(みちおみのきみ)に勅(みことのり)して、
大來目部(おほくめべ)を使ひ忍坂(をさか)の邑に大室を作り、宴饗(とよのあかり)を設け、慮(あたを)(あとらへ)之を挫くと道臣君、旨を奉る。
 窨(むろ)を忍坂(をさか)に堀り、猛(たけ)き卒(つはもの)を選び、秘(ひそか)に期(ちぎ)りて、雑居て酒を行りて諸の仇、情を任徑に醉亂る時、道臣、立ちて舞ひて詠謠(うた)を擧ぐ。
忍坂(をさか)の大室屋に
人多
(さは)に入り居り雖(とも)
人多に來ひ居
(をれ)雖、
充滿
(みつみつ)し來目之子(くめのこ)等が
如所
(いかが)帶了(はかせる)頭槌刀(かふつち)
石槌刀
(いしつち)持ち撃而然(うちてし)止其(やまじ)
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《語釋》
「道臣君」…
 「記紀に登場する天忍日命の後裔。大伴氏の祖。
 八咫烏(やたがらす)の先導により來目部を率ゐて

 宇陀(菟田)への道を開いた功績によつて神武天皇より

 道臣の御名を戴く」。
「大來目部」…
  「神武天皇の神武東遷に於いて隨伴した軍事的部民

   一族の總稱。天孫降臨神話では大伴連の祖である

   天忍日命の率ゐた天槵津大來目(あめのくしつおほくめ)

   來目部の祖である」。
「夷賊の餘黨」… 「服はぬ蛮族の殘黨」。
「大室」…「地面に穴を掘り屋根をつける形式の建物」。
「忍坂(をしさか)の邑」…

  「奈良縣櫻井市忍阪で東部地域の古名。」
「來目之子等」…
  「來目部の兵士達」。

「帶了頭槌刀」…「腰に帶びた佩刀」。
「石槌刀持」…
  「佩刀を持つて」。

「撃而然止其」…「撃たずに置くものか」。
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《道臣命(みちおみのみこと)の人物像》  (出典『日本書紀』『古事記』『先代舊事本紀』)
一 天津神。天孫降臨時から天日嗣と行動を共にしてゐた武神の一族。
一 勇猛・忠義の開拓先導者。(阿羅阿羅しき道の先導者。天皇より道臣命の名を賜はる)。
一 齋主も行ふ神道實践者。
  (宇陀後略後八十梟帥を討伐前に顯齋といふ祭祀を齋行する、)
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《道臣命(みちおみのみこと)を祀る神社》
一 住吉大伴神社 (京都市右京區龍安寺住吉町) 御祭神 天忍日命・道臣命
一 刺田比古神社 (和歌山縣和歌山市片岡町) 御祭神