きのふは、京都三上邸『先代舊事本紀勉強會』『詠歌本紀』の資料作りに一日中取組ませて戴いた。
 『詠歌本紀』の原文を讀み込む事から始めたのであるが、この作業については、相當の集中力が必要になつて來る。
 この原文がある程度理解できないと『日本書紀』や『古事記』との比較が出來ない。
 意外にもけふは、この集中力が續いてくれた御陰で大分進捗した。
 今囘は、「神武東遷」での出來事を歌としたもので、熊野山中での土地神の惡しき毒氣に兵士が倒れてしまつた逸話と大和國の忍坂で服はぬ賊徒を酒盛り中に道臣命に率いられた大來目部の兵士が誅戮する逸話迄を解する事ができた。
 けふはもう一首神武天皇の「神武東遷」關係の御歌を解する豫定にしてゐるが、午前中は東京警察病院の方に診察に行つて來る豫定もあり、午後からの着手になりさうだ。
 又、きのふは京都の三上さんが昭和天皇の國師と呼ばれたご主人の三上照夫先生を書き上げた御本『第三の文化の時代へ』が出版社より届いた。

 


 産経新聞論説委員の阿比留瑠比氏が、書かれた「まえがき」の途中まで一應讀ませて戴いたが、とても良い御本に思ふ。
 私にとつては、毎月三上邸で三上先生から靈導を戴いてゐる實感をしてゐるので特別な感が有る。
 けふも有難い感謝の一日にしたいと思つてゐます。
 前囘の續き、『復活和歌創作講座』の第四講座の最後を御紹介します。
 
 ◇ ◇ ◇
 
第四講座【『まこと』を極める】3
 テキスト「日本ことのはあそび敎則本」 9p~13p
 
 幕末常陸國の赤誠歌人佐久良東雄は次のやうに謳ひます。
 
 【佐久良東雄和歌】(薑園歌集より)
天地のいかなる國の涯てまでも
  たふときものは誠なりけり

 
 ある事象に心が感應した時、素朴に、簡潔にその感動を素直に五七五七七の形の中の調べに乗せてみる。それが和歌の奥義ではないかと私は思ふのです。くどいやうですが和歌は心に浮かんだことを、感じたまま三十一文字(みそひともじ)に變えて表現をするものなのであります。技巧などは和歌には必要ないのであります。
 私は和歌に最も必要なものは學問でも思想でも知識でも手腕でもないと考へてゐます。ただ一つの『純』さへあれば歌人たり得ると思つてをります。そして、『純』について本居宣長は言います。
 
「そもそも、道は學問をして知ることに非ず、生まれながらの眞心なるぞ、道にはありける眞心とは、よくも惡しくも、生まれつきたるまゝの心を言ふ」(『玉勝間』より)。
 
 生まれつきたるままの心、これが『純』と宣長は言つてゐます。その『純』の發露は學問や知識に夜ものではないとも言つてゐます。
 私は思ふのですが學問や知識はある方がないよりもましですが、なくても詩人であることを、藝術家であることを妨げることはありません。いや、『純一』を覆つてしまふような學問や知識なら無い方が寧ろましです。藝術に最もあつてはならぬことは虛僞であり糊塗です。
 これらのものは『不純な心』から生まれてくるのです。そして、『不純な心』は往々にして學問や思想や知識や手腕から作られてしまうものではないでしょうか。世間的な成功には、學問や知識は確かに必要であるかも知れません。しかし、藝術に於ては厭ふべきもの、少なくとも無用なものだと思ふのです。しかし、だからといって學問を否定するものでは決してありません。學問によって、私たちの品性は育まれるのです。人間はこの品性を育む事を目指して學問をしなければなりません。優れた品性を育むには絶對的な純眞が心になければ見せかけだけの品性に陥ってしまうのです。地位や名譽や物質に恵まれる事よりも、ただ、勇烈の士は生死に臨む時、藝術の士はその生命(いのち)の表現としての作品に臨む時、強烈なる良心の発動によつて眞面目を侵してはならない。この良心は、人間が本來生まれつき持つてゐるものであるのです。
 私は、現代和歌を餘り好きではありません。といふよりもどうしても馴染めません。それは、餘りにも調べと言葉の美しさをないがしろにしてゐるといふことが第一の理由になります。和歌の生命は、調べと言葉の美しさであると信じてゐるから さう思ふのです。
 そして、もう一つ「技巧」ばかりが先行して、心が見えなくなつてしまつてゐると思へるからです。こんな事を言ってしまふと現代和歌に勤しんでいらつしゃる方からはお叱りを受けることになるとは思ひます。そして現代和歌にとつて重要なのは『心』であると。
 しかし、私が現代和歌に於ける採り上げてゐる『心』について考へた時、表層的な欲望の心がその主になつてしまつてゐるやうに感じてなりません。
 和歌に籠もりし「まこと」の言の葉を味はふことこそ、敷島の道であると私は信じて疑ひません。さて、まごゝろを盡しきるといふことは本當に難しいと思ひます。この眞心を盡すといふことは、私たちの人生を明るく希望に満ちたものになると私は信ずる者であります。而も、それが人間として生まれた當たり前のことなのであります。孟子が告子上篇に於て述べてゐるように「人心の根本を尋ね出せば、仁の一字に盡くせり」と言っております。孔子も「満腔子是れ仁なり」と言ふこの意味もまた同じと言へます。そんな眞心を和歌として表現することは素晴らしいことではないかと思ふのです。そして、和歌の三十一文字によって表現することこそ日本人の感性と言へるのではないかと思ふのです。
 
 「至誠によつて動かざるものは未だ之あらざるなり」
 
といふコトバがあります。
 私は人間の理想は此處にこそ在ると信じてゐます。『至誠』とは、『まこと』を盡しきるということであります。そして、『まこと』とはまごゝろといふ言葉に言い代えることができます。この『まごころ』を盡すといふことは、この世に生命を受けてきた私たちにとつて大命題とも言へるものではないかと思ふのです。まごゝろから出てくる言葉は人を感動させることが出來るのです。