今度の日曜日は、日本國にとつて最も大切な祝日である「建國記念日」になります。
 そして、それは『紀元節』といふ言葉を私は使つて居ます。
 昨日迄で、『和歌創作講座』の資料の目途が立つたので、この『紀元節』について御紹介させて戴きます。
 
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【神武天皇御製】 
 御題「神武東遷出立の地美々津濱立磐神社歌碑」
日の草の赤が美榮(みは)えてとことはに
 瑞穗の國は榮
(さか)えまつらむ
【原文】比能久佐乃 安加賀未齒江弖 徒許止齒爾
    巳受富能久迩波 佐加慧摩都羅牟
「日の草の赤」…「赤い萬年靑(おもと)の實」。
「美榮えて」…「美しく見えて」。
「とことはに」…「悠遠に」。
「榮えまつらむ」…「榮えるに違ひない」。
【大御心を推し量る】
 神武天皇が日向國美々津濱から神武東遷に旅立つに當つてお作りになられたと傳承されてゐる御製になります。
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 二月十一日は、紀元節です。この紀元節は、今から二千六百八二年前、初代神武天皇が奈良縣橿原の地に於て、日本建國を宣言された日になります。
 今月の『國柄を學ぶ月例講座』は、この建國を偲び奉り和歌によつて言祝ぎ、先人の御辛苦を懷ひ起すと共に、未曾有の危機を迎へたこの現況日本を鑑み建國の精神に念ひを馳せたいと思つてをります。世界に類の見ない三千年になんなんとする歴史を紡いできたこの日本を紀元節に當つて和歌によつて讃へようではありませんか。それが【建國祝賀歌】になります。
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【建國祝賀御製】
【明治天皇御製】
 御題「祝」
   明治三七年
橿原の宮のおきてにもとづきて
  わが日本
(ひのもと)の國をたもたむ
「橿原の宮のおきて」… 「建國の詔」のこと。
「もとづきて」… 「基いて」。
「國をたもたむ」… 「國家を保つて行かう」。
【大御心を推し量る】
 神武天皇の「建國の詔」の精神に基いてこの日本の國を知ろしめて行かうといふことを御親らに言ひ聞かされてをられる御製であらうかと拜察します。
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《神武天皇東遷の眞實》
  はじめに
 日本の建國の基礎を築かれたのは、初代天皇である神武天皇になります。
 神武天皇による建國の道程について述べてみたいと思ひます。
初代神武天皇(神日本磐余彦天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)
  崩御 御年百二十七歳。
 先づは神武天皇について少し御紹介すると、『古事記』では神倭伊波禮琵古命(かむやまといはれひこのみこと)と稱され、「日本書紀」では神日本磐余彦尊(かむやまといはれひこのみこと)、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)などと稱されてゐます。神武天皇(じんむてんのう)といふ呼稱(こしよう)は、奈良時代後期の文人である淡海三船(あふみみふね)が歴代天皇の漢風諡号(しごう)を一括撰進した時に付されたとされてゐます。漢風諡号(しごう)とは、和風諡号(しごう)(國風諡号(しごう)ともいふ)に對しての天皇の呼稱(こしよう)であり、支那の皇帝への諡(おくりな)と同じやうに生前の行ひを評して支那の追諡(ついし)の書を定義の元として選定され追贈されます。諡号(しごう)とは、高貴な人や高德の人の死後におくる美稱(びしやう)です。
 さて、日本の建國は如何にして成立したのか。そして、その建國の理念は如何なるものであつたのかをお話しさせて戴きます。その最初は、神武天皇東遷によつて、その緒に就きました。それは一般的には「神武東征」と呼ばれてゐます。 が、私は「神武東遷」と呼ばせて戴いてゐます。何故、この言葉に拘つてゐるかと言ひますと、「東征」といふ言葉ですと「東に向つて先住民族を征服をしながら進んだ」といふ意味になつてしまひます。しかし、『古事記』、『日本書紀』に於て戰闘の描寫は大和地方に入つてからの長髓彦との戰ひ以降のみであり、高千穗の地からの行程に戰闘描寫はありません。それ故に、「神武東征」ではなく、「東に遷られた」といふ「東遷」といふ言葉が的を得てゐると思ふのであります。「神武東遷」は、日本建國への出發點であり、それは又「齋鏡齋穗の神勅」實踐の發露でした。そして、これは日本の建國は神々の御心の實踐といふことを表はしてゐるのです。それは、如何なる事かと云へば、「神武東遷(じんむとうせん)は、天孫降臨時に於ける天照大御神の齋穗の御神勅の實践を行はれた」といふことなのです。
 齋鏡(さいきやう)齋穗(さいほ)の神勅
  → 祖先崇拜の大精神と物質的成長繁榮

 それでは「齋穗の御神勅」とはどういふものであるか。この神勅は、「齋鏡の神勅」と對のものです。つまり、「齋鏡齋穗の神勅」といふ名で呼ばれてゐます。その「齋鏡齋穗の神勅」とは、天孫降臨に當り、天照大御神より下された治政の心得ともいへるものになります。それを原文で擧げます。
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 天照大御神(あまてらすおほみかみ)、御手(みて)に寶鏡(たからのかがみ)を持ちたまひて、天忍穗耳命(あめのおしほみみのみこと)に授けて、祝(ほ)きて曰はく、
「吾が兒
(こ)、此の寶鏡(ほうきやう)(み)まさむこと、當(まさ)に吾(あ)を視るがごとくすべし。與(とも)に床(とこ)を同じくし殿(おほとの)を共(ひとつ)にして、齋鏡(さいきやう)とすべし。又勅(ちよく)して曰く、吾が高天原(たかあまはら)に所御(きこしめ)す齋庭(ゆには)の穗(いね)を以て、亦吾が兒に御(まか)せまつるべし」とのたまふ。

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 「齋鏡」とは、「鏡を齋(いつ)き祀(まつ)れ」といふことであります。
 「齋」は「いつき」つまりお祀りをするといふことです。
 この「齋鏡(さいきやう)の神勅」に於ける鏡とは三種神器に於ける「八咫御鏡(やたのみかがみ)」の事になります。日本に於ける鏡の存在はいかなるものでありませうか。これは日本人の神觀とも繋がつてゐます。日本人の神觀は、「神とは一切のものに内在する存在であり、そして一切が繋がつてゐる」といふ事であらうと私は考へてゐます。
 この「神武東遷」に於て最も鍵となるのが、「齋穗の御神勅」になります。
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《川田順》
『神武天皇聖蹟歌』
 「序歌」
 (昭和十六年發表)
橿原のいにしへ偲ぶ今日をおきて
  大八洲國
(おほやしまぐに)を興す時無し
「橿原のいにしへ偲ぶ」… 「神武天皇建國の故事を偲んで」。
「今日をおきて」… 「今日をおいて」。
「大八洲國」… 「日本國」。「興す」… 「復興させる」。
【解説】
 此の歌、當に現況下の日本に必要な和歌ではないかと思ひます。大東亞戰爭直前の昭和十六年三月に發表された著書『國初聖蹟歌』の中の歌になります。