十二月も半月が過ぎて、有難い事にお仕事もやらねばならぬことが山積してをり、十二月が「師走」といふ言葉(師といふ程の人間ではないが)の日々が續いてゐる。

 昨日は一日中、病院になる。午前中は檢査並に皮膚科外來、午後からはピロリ菌治療についての外來診察。そして、心臟循環器科外來診察まで行ひ、朝から夕方まで病院に居る事になつた。その爲に、きのふは、朝の二時間以外は殆ど仕事に取組む事ができなかつた。
 明日は、小川先生の『國柄を學ぶ月例講座』の和歌創作講座をさせて戴くが、その資料作り。更に來週二十日(水)の『復活和歌創作講座』の資料作り、京都三上邸での『先代舊事本紀勉強會』資料作り、そして、今月は大晦日の「大祓行事」の資料作りなどに取組んでゐて、いつも通りの御製御謹解と順德天皇全御製データ化打込作業をやつてゐる爲、能力以上に取組んでしまつて居て、頭がパンク寸前と云ふ狀態である。
 まあ、一應今月の講座勉強會關係の資料作りについては、略ゝ目途が立つて一段落ついたが、何となくではあるが、心の餘裕が無くなつた日々を生きてゐる氣がしてゐる。
 明日の小川先生の『國柄を學ぶ月例講座』の和歌創作講座の資料の一部を御紹介させて戴く。今月は十月と云ふ事でテーマは、「令和五年を振り反り新生を詠ふ」といふことでやらせて戴きます。
 又、最初に私の【拙詠】を最初に御紹介させて戴きます。
 
 ◇ ◇ ◇
 
【拙歌】
 「拙著『天皇御製に學ぶ日本の心』世に出でて 三首」
神からのうつくし國の言の葉の
  基(もとゐ)はこれ此處にこそあり

「神からのうつくし國」…「神柄の愛し國。日本國」。
 
おほけなき我身なれども世に出でしは
  多くの方のまごころによる

「おほけなき」…「身分不相應」。
 
涯てもなき鳴動(とよ)み立つ波押し寄する
  枯木
(かれき)を舟となるを祈らむ 
「枯木を舟」…「頼りないが只管ら前に進む舟となつて」。
 ◇ ◇
 「今年一年を振り返りて 三首」
年つまる時は闇なる日々なれど
  淸き流れは堪へることなし

「年つまる」…「歳末」。「時は闇なる」…「時期は」
 
春待たん壞れに壞れた今が世に
  まこと盡して光もどして

 
すめろぎの危うきまつり憂ふかな
  くだちける世の基となりしか

「すめろぎの」…「天皇の」。
「危うきまつり」…「危機を迎えてゐる宮中祭祀」。
 
 「輕薄なる言葉に踊らされる世をかなしみて」
浮かれたる人の心は彷徨(さまよ)ひて
  氣づかぬ歩み唯々かなしも

 
 「若き方々の奥底の民族精神顯はれ來るを希ひて」
ぬばたまの暗闇おほふ國柄に
  若き人らの嬉しき人柄
 
 ◇ ◇
 
【後柏原天皇御製】 御題「歳暮」 

  (「柏玉和歌集」第六巻 冬歌)
かくこそと人にうき世も限りあれや
  さてしもはてぬ年の暮れ哉

「かくこそと」…「斯の樣にこそと」。
「うき世も」…「憂ふる世を」。
「限りあれや」…「終りが來て欲しい」。
「さてしも」…「さて、行く先も」。
「はてぬ」…「涯ての無い」。
 
【大御心を推し量る】
 この御製は、御題が「歳暮」とありますので、年の暮れにお詠ひになられたものと拜察できます。「しもはてぬ」とは「未來永劫」といふ意味もありますが、その御心の御嘆きが果てしもないといふことも重ねてあるのではないかと拜察します。唯唯、平安と安寧の世の中を後柏原天皇さまは祈られてをられます。第二句第三句に於ける「人にうき世も限りあれや」は、大御心が顯著なお言葉になるのではないでせうか。
 
【うつくしの言靈和歌に挑戰しよう】
 令和五年度も今月を以て終ります。やはり、この令和五年も決して明るく輝かしい年とは言へません。昨年までの武漢ウィルス禍の影響は、日本本來の國柄と民族思想を忘却させた感が有ります。云はば、光の神天照大御神が天岩戸に御隠れになつてしまつたやうにも感じます。
 しかし、暗闇は光滿つれば消えるしかないのが眞理です。このやうな時に暗い影を消してしまふ光溢れる言靈の和歌を作り、暗闇を消して光滿つる新しい年を迎へませう。
 毎年師走十二月は、「一年を振り返り」新たな年への志を詠ふ和歌を作る事にしてゐました。和歌によつて一年間を振り返ることは、新しい年に向ふ爲には大切な事に思ひます。
 三十一文字の和歌を作ることで、後年、様々な憶ひが甦へることになります。「コトバ」には大きな言靈が籠つてゐます。この愛ほしき國を素晴らしい國とする爲に、思ひを籠めた言靈和歌に挑戰してみませう。
 この資料を作つてゐる時、幕末の公卿志士三條實美の次の和歌が腦裏に浮かんだ。
 ◇ ◇
《三條實美》
かくばかり亂れゆく世をよそに見て
  過ぐすは臣
(おみ)の道ならめやも
「かくばかり」… 「このやうに」。
「よそに見て」…「何もできぬ狀態で見て」。
「過ぐす」… 「過ごす。日々を送ること」。
「ならめやも」… 「であらうか。さうではない」。
 
《歌意》
 このやうに亂れてゆく世の中を何もできない日々を送つてゐることは、臣下としての道であらうか。いや、決してさうではない筈だ。