本日は、「新嘗祭」の日になります。
 
【賀茂眞淵】 

 「新嘗祭」
たふときやすべらみことは神ながら
  神を祀
(まつ)らすけふのにひなべ
 ◇ ◇
「たふときや」…「尊きや。尊いことだ」。
「すべらみことは」…「天皇は」。
「神ながら」…「神の御心その儘に」。
「神を祀らす」…「神様を祭祀されて居られる」。
「けふのにひなべ」…「今日の新嘗祭」。
 ◇ ◇
《歌意》
 何と尊い事ではないか。天皇樣は神ながらの道のまゝに、神さまを祀られていらっしゃるけふの新嘗祭で。 

《新嘗祭とは》
 私達のこの日本の國は、豐葦原瑞穗國(とよあしはらみずほのくに)といはれるやうに、農耕社會を基盤として發達してきた國家であります。
 そして、新嘗祭(にいなめさい)は多くの農耕儀禮(ぎれい)の内で最も大切な豐穣感謝祭といへるものになります。
 記紀や萬葉集、風土記などを見た時に、元々「新嘗(にひなめ)の祭」は一般の人々の間でも廣く行はれてゐた事が窺はれます。これら民間で廣く行はれた「にひなめのまつり」を象徴的且つ總括的に行はれるのが宮中に於ける「新嘗祭(にいなめさい)」といふ事になります。
 「新嘗祭(にいなめさい)」は豐穣感謝祭であると同時にもう一つ大きな意味があります。
 古代より我が國では穀物の靈を身に附ける事により生命を增殖、再生させる事が出來るといふ民族信仰がありました。
 そして、齋穗(さいほ)の御神勅(ごしんちよく)にあるやうに生命の糧である稻穗は、天孫が天照大御神より授けられたものであります。天照大御神は太陽を象徴して居られますから、新嘗祭(にいなめさい)は又、祖神である天照大御神に對する報恩感謝の御祀りであり、その御精神を「新嘗(にひなめ)の祭り」を通して歷代の天皇が引き繼がれ、天孫として「新生」されるといふ意味も加はつた宮中行事に於ける最も重要なお祀りになります。
 抑々「新嘗の祭」は古に於ては天皇のみならず皇太子・大臣より庶民に至るまで行つて居た祭でもあります。
 毎年の新嘗祭(にいなめさい)は天皇が年々新穀を天照大御神を始めとする天神と共食されることによつて「みあれ(御生れ)」を繰返すといふ事になります。
 
*「みあれ」 … 神または貴人の誕生・來臨をいふ語。ご生誕。ご來臨
 
 ◇ ◇
《「新嘗祭」の起源》
『日本書紀』巻一神代上。
「復見天照大神當新嘗時。則陰放𡱁於新宮。又見天照大神、方織神衣居齋服殿。則剥天斑駒。穿殿甍而投納。是時天照大神驚動。以梭傷身。由此發慍。乃入于天石窟。閉磐戸而幽居焉。故六合之内常闇而不知晝夜之相代。」

 ◇ ◇
『古事記』上巻
「於勝佐備、離天照大御神之營田之阿、埋其溝、亦其於聞看大嘗之殿、屎麻理散。」

 ◇ ◇
《新嘗祭の歴史的斷絶と復活》
 歴史上、平安時代後期より宮中祭祀の多くは様様な要因から斷絶し始めます。
 更に、源平の戰に始まり、戰國時代の引き金となつた應仁の亂など戰亂の世は宮中祭祀の斷絶に拍車を掛けました。
 この内「大嘗祭」は室町時代後期の第一〇三代後土御門天皇を最後に斷絶。
 そして、「新嘗祭」については、それよりも早く第一〇二代後花園天皇の御世から室町時代の下克上戰亂時代の到來と共に、朝廷財政の窮迫が原因で行はれなくなつてしまひました。
 「大嘗祭」は德川幕府に於ける第五代將軍綱吉の時代、第一一三代東山天皇の御世に復活しました。
 そして、「新嘗祭」は、凡そ五十年後の第一一五代櫻町天皇樣の御世に復活したのでした。

 ◇ ◇
「新嘗祭復活を實現された櫻町天皇御製」
治まれる民のつかさのまつりごと
  昔のままにかへるをも見よ

「治まれる」…「平安である」。
「民のつかさ」…「公卿百官」。
 
【大御心を推し量る】
 平安續く世の國民の司である私の祀り事が、昔の隨に戻つてきた。
 
《新嘗祭神嘉殿の儀》
(本祭) 
 この「神嘉殿の儀」からが新嘗祭の本祭になります。
十一月廿三日 當日何時御殿を裝餝す。(時刻については當日朝決定す)
  次に神座を奉安し齋火の燈燎を點ず。(此の時庭燎を燒く)
(夕の儀)
 時刻  親王王綾綺殿に參入する。
   次に皇太子綾綺殿に參入す。
   次に天皇綾綺殿に參入す。
   次に天皇の御祭服を供す。
(侍從奉仕)
   次に天皇に御手水を供す。(侍從奉仕)
   次に天皇に御笏を供す。(侍從奉仕)
   次に皇太子に齋服を供す。(東宮侍從奉仕)
   次に皇太子に御手水を供す。(東宮侍從奉仕)
   次に皇太子に笏を供す。(東宮侍從奉仕)
 此の間に供奉諸員(宮内大臣、侍從長、式部長官、侍從、
     東宮大夫、東宮侍從長、東宮侍從)服裝を易ふ。
   次に式部官前導諸員參進本位に就く。
   次に掌典長祝詞を奏す。
   次に天皇出御。
 (式部長官前行し侍從左右各一人脂燭を乘る。

  侍從劔璽を奉じ侍從長侍從
  侍從武官長侍從武官御後に候し親王王供奉す)
   次に皇太子參進。
 (東宮大夫前行し東宮侍從左右各一人脂燭を乘る。

  東宮侍從壺切御劔を奉し
  東宮侍從長始め東宮侍從等が候す)
   次に天皇隔殿の御座に著御侍從劔璽を案上に奉安す。
   次に皇太子隔殿の座に著く。

     東宮侍從壺切御劔を案上に奉安す。
    「此の時供奉諸員隔殿の庇に候す。」
   次に神饌を行立す。
   次に削木を執れる掌典警蹕を稱ふ

    (此の時神樂歌を奏す)
   次に天皇本殿の御座に進御。
   次に天皇御拜禮御告文を奏す。
   次に御直會。 次に神饌撒下。
(陪膳女官奉仕)
   次に御手水を供す。 次に神饌退下。

   (その儀行立の時の如し)
   次に皇太子拜禮。

   次に親王王拜禮。

   次に諸員拜禮。
   次に入御。(供奉出御の時の如し)
   次に皇太子退下。(供奉參進の時の如し)
   次に各退下。

 
(曉の儀)
 その儀「夕の式」の如し。

 
(出入御)
「夕の儀」 神嘉殿南正面より出御。

      入御は西隔殿より御後に入らせる。
「曉の儀」 御後より西隔殿を經て出御あり。

      南正面より入御あらせらる。
 これは夕曉の二儀は別箇の儀にあらずして、全く一箇の儀なるが爲なり。

 
(參列諸員への直會)
 「曉の儀」が終れば、參列諸員に白酒黑酒を賜はるなり。
 以上の如く「新嘗祭」は當日當該の祭典のみならず、前儀あり。叉當日には宮中三殿並官國弊社に幣帛供進され、伊勢神宮には勅使を差遣はせられる。

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【今上陛下御製】
 歌會始御題 「静」(平成二十六年)
御社(みやしろ)の静けき中に聞え来る
  歌声ゆかし新嘗の祭

 
「御社」…「神嘉殿」。
「静けき」…「静かな」。
「ゆかし」…「品格に満ちた」。

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【拙詠】
 「神の惠みの感謝の歌四首」
惠みうく神のまもりのうれしさに
  ただ有難き道はうれしき


神わざや仰ぎてぞみむなべて世の
  くもりなき日を送るうれしさ


起き出でて朝の光は滿ち滿ちぬ
  けふに生くるの勵みにやせむ