本來であれば、けふ午後には京都に旅立つ豫定であつたが、三上さんの疾病に因つて中止となつた爲、來月に順延となつた。
 けふはその爲豫定を大幅に變へなければならぬことになつてしまつた。本來であれば、新幹線の車中と明日の『先代舊事本紀勉強會』の前まで「室町戰國時代『御製に學ぶ日本の心』」の原稿の最終チェックに集中して時間を費やすつもりであつたが、家だとなかなか集中できないので午後からはどこかへ出掛けやうかとも考へてゐる。
 
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本居宣長『玉鉾百首謹解』二九
 
さかしらに神代の御書(みふみ)説き枉(ま)げて
 漢
(から)の意(こころ)になすが悲しさ
 
【原文】
 佐加志良尒。神世之御書。説麻宣弖。漢乃意尒。那須賀悲佐。
 
「さかしらに」…「賢しらに・利口ぶること」。
「神代の御書」…「古事記のこと。神代の古傳説」。
「説き枉げて」…「獨りよがりな解釋をして」。
「漢の意」…「支那(外國)の思想に染まつた考へ方」。
「なすが」…「爲す。行ふ」。
 
《歌意》
 自分を利口ぶつて『日本書紀』にある古傳説を強ひて支那の儒學の思想によつて説き曲げて、この私達の祖先の積み上げてきた事を否定して日本古來の精神から遠く離れてしまつた現實が悲しくてならない。
 
【解説】
 本居宣長は其著『玉勝間』で次のやうに述べてゐます。
「儒者に皇國の事を問ふには、知らずと言ひて、恥とせず、唐國の事を問ふに、知らずといふば、いたく恥と思ひて、知らぬことをも知り顔に言ひまぎらはす。こは萬づをからめかさむとするあまりに、其身をも漢人めかして、皇國をばよその國のごともてなさむとするなるべし、されどなほ唐人にはあらず、御國人なるに、儒者とあらむものゝ、おのが國の事知らであるべきわざかは。」
 
【賀茂百樹解釋】
 賢らだてに神代の古傳説を強ひて理窟に説き曲げ、皇國の古意を失ひて漢意にするが悲しさとなり。