【昭和天皇御製】 
 
 


*昭和天皇・香淳皇后両陛下


 
 御題 山色新   昭和三年歌會始
 
山やまの色はあらたにみゆれども
   我(わが)まつりごといかにかあるらむ
 
 
 ◇     ◇     ◇     ◇     ◇
   

 
【昭和天皇とアッツ島玉砕】 
 
 


*アッツ島の位置


 昭和18年5月12日の米軍アッツ島上陸以来、
 先帝陛下(昭和天皇)は、
 同地の守備隊の模樣をいたく氣にかけられ、
 毎日のやうに戰況を御下問されてをられました。
 
 5月29日夕刻、守備隊から最後の電報が發せられた。
 
 
「機密書類全部燒却。
 是レニテ無線機破壞處分ス」
 
 
 陸軍大臣は、直ちに參内し、
 アッツ玉砕を天皇に奏上した。
 


*アッツ島玉砕の記事


 
 陛下は、
 陸軍大臣大臣の報告を黙つて聞かれると、
 目を閉じしばし佇立(ちよりつ)された。
 
 そして、ひと言、
 

「アッツ島守備隊は、
 まことに最後まで良く敢闘した。
 このことを傳えよ。」

 
 
 と仰有つた。
 
 陸軍大臣は、
 陛下が自分の報告を
 聞き違えられたかと思ひ、言葉を返した。
 
 
「恐れながら陛下、
 彼らは無線機を既に破壊しており、
 お言葉をお伝えする手段がございません」

 
 
 と申上げると、陛下は、嚴しい聲で、
 
 
「構はぬ。それでも構はぬから、
 さういふ電波を出しなさい!」

 
 
 とご命令された。
 
 陸軍大臣は一禮して引き下がり、
 控えの間に至ると両手で顔を覆つて
 男泣きに泣き崩れた。
 
 直ちに北のアッツ守備隊に向け、
 電報が放たれ、陛下の御言葉が打電され續けた。
 
 勿論、アッツから返事が來ることはなかったが。
 


*アッツ島玉砕の歌(朝日新聞)

 
 
 
【久坂玄瑞 和歌】
 
いくそたびくりかへしつつ我が君の
    みことしよめば涙しこぼる