【昭和天皇御製】
御題 山色新 昭和三年歌會始
山やまの色はあらたにみゆれども
我(わが)まつりごといかにかあるらむ
【昭和天皇とアッツ島玉砕】
昭和18年5月12日の米軍アッツ島上陸以来、
先帝陛下(昭和天皇)は、
同地の守備隊の模樣をいたく氣にかけられ、
毎日のやうに戰況を御下問されてをられました。
先帝陛下(昭和天皇)は、
同地の守備隊の模樣をいたく氣にかけられ、
毎日のやうに戰況を御下問されてをられました。
5月29日夕刻、守備隊から最後の電報が發せられた。
「機密書類全部燒却。
是レニテ無線機破壞處分ス」
「アッツ島守備隊は、
まことに最後まで良く敢闘した。
このことを傳えよ。」
と仰有つた。
陸軍大臣は、
陛下が自分の報告を
聞き違えられたかと思ひ、言葉を返した。
陸軍大臣は、
陛下が自分の報告を
聞き違えられたかと思ひ、言葉を返した。
「恐れながら陛下、
彼らは無線機を既に破壊しており、
お言葉をお伝えする手段がございません」
と申上げると、陛下は、嚴しい聲で、
「構はぬ。それでも構はぬから、
さういふ電波を出しなさい!」
さういふ電波を出しなさい!」
とご命令された。
陸軍大臣は一禮して引き下がり、
控えの間に至ると両手で顔を覆つて
男泣きに泣き崩れた。
直ちに北のアッツ守備隊に向け、
電報が放たれ、陛下の御言葉が打電され續けた。
勿論、アッツから返事が來ることはなかったが。
陸軍大臣は一禮して引き下がり、
控えの間に至ると両手で顔を覆つて
男泣きに泣き崩れた。
直ちに北のアッツ守備隊に向け、
電報が放たれ、陛下の御言葉が打電され續けた。
勿論、アッツから返事が來ることはなかったが。
【久坂玄瑞 和歌】
いくそたびくりかへしつつ我が君の
みことしよめば涙しこぼる