本稿は12月12日の續きになります。 
http://ameblo.jp/kotodama-1606/entry-11963594370.html 
 
 

 
皇后美智子さまの御歌 51
 
 
         著作 割田剛雄&小林隆
         ブログ編著 小林 隆
         出版社   パイ・インターナショナル
         出版日 平成二十六年十一月下旬豫定
  


 
*なほ、本稿は出版される御本とは内容は異なります。
 目次については略ゝ確定と言つても良いのですが、
 寫眞などとのかねあひもあり
 變更の場合も考へられるさうです。
 叉、御歌の解説は
 私獨自のモノで御本とは違ひますので豫めご了承下さい。
 
 
※昨日(12月6日)共著者の割田さんより、
 この御歌の御本の最終校正原稿が送られてきました。
 寫眞の總べてが決定して、
 文章の細かいチェックを入れる作業を行ふ事になりました。
 だうも、想像力が足りないせいか、
 御歌と寫眞とのイメージが中々重ならず、
 皇后様の御歌の言葉との違和感が殘つてしまつてゐます。
 きつと、これも何度も見てゐる内に解消するやうにも思ひます。
 ただ、間違ひなく美しい本として
 完成するであらうといふことは自信を持つて云へます。
 
 出版社から發賣日を來年の1月15日に決定したと連絡を戴きました。
 餘程のの事が無い限り、今度は動かないと思ひます。
 
 
 
 ◇    ◇    ◇    ◇    ◇
 
  
 
九 生きてるといいねママ
    ~被災地への祈り 4
 
 
笑み交(か)はしやがて涙のわきいづる
    復興なりし街を行きつつ
  
  平成十八年(2006) 
歌會始御題  笑み
       神戸大震災の復興を
 

 
 平成十七年一月、
 両陛下は阪神淡路大震災十周年を迎へた
 神戸市を訪れ、市街地の復興ぶりを視察されました。
 町で出會ふ人々と笑みを交はし、
 復興の喜びを分かち合われながらも、
 それぞれの人が越えてきた
 苦難を思ひ涙ぐまれた
 記憶を詠まれたものです。
 
 (參考 宮内庁篇『道』より)
 
 
 
【御心を推し量る】
 
 あの痛ましい地震で
 壊滅的な被害を蒙つた
 神戸の街に十年經つて來て見ましたが、
 皆様の懸命の努力の甲斐あり
 見事な復興を遂げてゐました。
 
 街の方々のご苦勞はいかばかりか。
 
 そんな大變な苦難を乗り越えた中で
 微笑みを私達に投げかけて下さいます。
 
 それらを思ふと涙が湧いて出てきます。 
 
 ◇    ◇    ◇    ◇    ◇
 
 
【震災復興の願ひ「水仙の花」】
 
 天皇皇后両陛下が、
 仙台市の避難所の体育館を訪問された時、
 避難されていた佐藤美紀子さん(六十四)が、
 皇后様に水仙の花束を渡されました。
 

 
 皇后様はびっくりしたようなお顔をされ、
 それから嬉しそうにお受け取られました。
 
 その水仙は、
 佐藤さんが津波に流された
 自宅の跡地を見に行った時、
 そこで力強く花を咲かせてゐる
 水仙の花を見つけ、
 皇后様にお渡ししたいという
 気持ちで摘んでこられたものだそうです。
 
 佐藤さんは、慰問に来られた皇后様に、
 
 
「この水仙の花のように、私たちも頑張ります」
 
 
 と言葉を添えたそうです。
 
 皇后様は、
 
 
 「ちょうだいできますか?」
 
 
 と言葉をかけられ大事そうに持ち帰られました。
 
 そして、東京に戻られる飛行機の中でも、
 空港に降りられた時にも
 両手でしっかりと、その花束を抱えて
 持ってをられたとのことです。
 
 被災者の皆様が託された
 復興への誓いを受け留めてをられたい
 という思ひではなかったでしょうか。
 
 
 この水仙の花の意味は、
 かつて阪神淡路大震災発生から二週間後に、
 両陛下は最も被害の大きかった
 神戸市長田地区をお見舞いなさいました。
 
 ご出発の日の朝、
 皇后様は皇居に咲いている
 黄色と白の水仙を採られて
 お持ちになったのでした。
 
 そして、神戸市長田区
 菅原地区を見舞われた時、
 朝お採りになられた十七本の水仙の花束を、
 瓦礫の山の上にさりげなく
 そっと献花をされたのでした。
 

 
 この皇后様のお優しく温かいお姿によつて、
 どん底に落ち込まれた被災地の方々が
 心から感激をして励まされたといいます。
 
 そして、この水仙の花が
 復興のシンボルとなつたのでした。
 
 それはなぜなのか。
 
 復興に取り組もうとする
 神戸の方々にとって、
 復興の道のりは
 並大抵のことではありませんでした。
 
 一口に言って被災者とはいっても
 皆それぞれ立場は樣々です。
 
 そうした立場の違ひを越えて
 復興に取り組むために
 人間は何か心を一つにするための
 象徴が必要となるのではないでしょうか。
 
 この時も當にそうでした。
 
 前にも増して素晴らしい
 神戸の街を復興するために、
 地元の方々が結集できる象徴こそ、
 皇后様が献花された水仙の花束であったのです。
 
 被災者の方々は、
 『水仙』といふ名の機関誌を発行され、
 次に拡張された道路には
 「すいせん通り」と名付け、
 防災の為の公園にも
 「すいせん公園」と命名され、
 その花壇には水仙の花束の
 モニュメントを設けたのでした。
 
 そして、多くの困難や苦難を乗り越えて
 街の復興を成し遂げたのでした。
 
 その後、地元住民から、
 
 「あの花束を永久保存したい」
 
 という、そんな声が広がって、
 関係者の手によって山口県にある
 日立交通テクノロジー株式会社に送られて、
 半永久に花を保存する
 ハイテクドライフラワー・エバーフラワー技術
 によって皇后様の水仙の花束は
 永遠の生命を吹き込まれ、
 現在、あの頃の姿のまま
 神戸市の布引ハーブ園に展示されています。
 

 
 そして、時は移り、震災復興に伴い、
 この長田区菅原地区は
 大きく様変わりして近代的な街になりました。
 
 震災から六年後、平成十三年四月、
 天皇皇后両陛下は
 再び神戸の地を行幸されました。
 
 そして、水仙を手向けた
 菅原市場跡地へも御出向かれました。
 
 そのとき、菅原地区の人たちは
 水仙の花をちぎれんばかりに振って
 両陛下をお迎えしました。
 
 その姿に気づかれた両陛下は、
 その人たちの前を
 ゆっくりゆっくり進んで行かれました。
 
 両陛下はいつものように
 丁寧に頭を下げられ、
 手を振られたのです。
 
 そのような両陛下の温かい心遣いに
 街の人たちはまた感動されたといいます。
 
 
 この時の情景を思ひ出されて、
 前掲の皇后様の御歌
 
 
笑み交はしやがて涙の湧き出づる
   復興なりし街を行きつつ
 
 
 ができたのではないかと拜察します。
 
    
  
 
 ◇    ◇    ◇    ◇    ◇
    
 
 上記記事は
 「皇室なごみエピソード集HP」より引用加筆しました。

 
 http://royal.must-reading.info/main/kogo4.html