けふの歴代天皇御製 
 

 
第100代 後小松天皇 14 
      ごこまつてんわう   



*後小松天皇肖像画(雲龍院所蔵)



  
  
 南北朝が後小松天皇の
 御世に於て和合しました。

 北朝第六代。足利義滿の時代。
 足利幕府權力に苦しめられた天皇樣です。
 
 
 御題 不明
 
月いづる大和島根もうかぶなり
   波もいなみの海の夕なぎ

 
 
【大御心を推し量る】
 
 この御製は、後小松天皇樣の中でも
 抒景歌として素晴らしい名歌になると拜察します。
 
 勿論、この大御歌は海に直接出でゝ
 お作りになられた御製ではありませんが、
 この三十一文字から
 海上から見える夜の大和島根の
 稜線が美しく浮かんで來る
 イメージが湧いて參ります。
 
 この御製を拜詠した時、
 その哥の大きさに感動します。
 
 賀茂眞淵が
 
 
「古の人の歌は、
 天地の成しのまにまに
 成る海山のごと」

 
  
 といふ言葉が浮かびます。
 
 眞淵の言ふところの
 「古の人」とは萬葉人の事であります。
 
 この御製は當に萬葉歌を
 感ずる事ができると拜察します。
 
 そして、この御製は萬葉集にある
 柿本人麻呂の和歌
 
 
名ぐはしき印南(いなみ)の海の沖つ浪
   千重(ちえ)に隱(こも)りぬ大和島根は

 
 
 を本歌としてお作りになられたやうに拜察します。
 
 海は兵庫県の
 稻美の海であらうかと思ひます。

 
 和歌山県の印南町の海ですと
 人麻呂の海ではなくなつてしまひます。
 
 人麻呂が萬葉歌を作つたのが
 奈良から浪速の海を經て、
 筑紫國を海路でめざした時に
 兵庫県稲見で作られた
 和歌ではないかと想像します。
 
 この和歌を本歌として、
 後小松天皇樣は浮かび上がる
 大和島根の美しさを
 詠はれたのではないかと拜察します。
 


*兵庫県稲美町にある人麻呂の萬葉歌碑

 
303;雑歌 柿本人麻呂,羈旅,望郷,兵庫
  柿本朝臣人麻呂下筑紫國時海路作歌二首
 
名細寸  稲見乃海之  奥津浪 
   千重尓隠奴  山跡嶋根者
 
(柿本人麻呂、筑紫国に下りし時、海路にて作る歌二首)
 
名ぐはしき 印南の海の 沖つ波
   千重に隠りぬ 大和島根は 
 
 
《歌意》
 
 その名も美しい稲見の海の沖の
 千重の波間の中にもはや
 遥かに隠れてしまったよ大和の島影