本稿は3月19日の續きになります。
http://ameblo.jp/kotodama-1606/entry-11799556762.html
97 權中納言定家
(ごんちゅうなごんていか) 藤原定家
(1162年~1241年)
(歌の詠み方)
上の句 こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎに
《歌意》
毎日、夕暮れになると待っても待っても
来ない人を待ちわびて、
身も心も焼け焦がれる思いの私は、
松帆の浦の夕凪に海女たちが
焼くあの塩のようなものです。
*「夕なぎ」とは、漢字では「夕凪」と書き
「夕方、海の風も波も静かになること」をいいます。
*「焦がれつつ」とは、
「燃えるように思っている」という事です。
なお、「松帆の~藻塩の身も」は、この「焦がれ」の序詞です。
人物
*権中納言定家とは、藤原定家のことです。
藤原定家はこの百人一首を選んだ人です。
定家は、藤原道長の流れをくむ
摂関家の家柄に生まれました。
父は藤原俊成
(第八十三番「世の中よ道こそなけれ」の作者)。
政治よりも学問の方に力を注ぎ、
和歌では『新古今和歌集』の選者、
『源氏物語』を始め多くの古典を
後世に伝えることに功績がありました。
その子孫は、冷泉家として今も続いています。
和歌の家元もいえる
冷泉家や二条家はこの定家を祖としています。
この札は二字決まりの札です。
「こぬひとの」の二音「こぬ」で取れる札です。
http://ameblo.jp/kotodama-1606/entry-11799556762.html
97 權中納言定家
(ごんちゅうなごんていか) 藤原定家
(1162年~1241年)
来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに
焼くや藻塩の身もこがれつつ
(新勅撰集)
焼くや藻塩の身もこがれつつ
(新勅撰集)
(歌の詠み方)
上の句 こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎに
下の句 やくやもしおの みもこがれつつ
《歌意》
毎日、夕暮れになると待っても待っても
来ない人を待ちわびて、
身も心も焼け焦がれる思いの私は、
松帆の浦の夕凪に海女たちが
焼くあの塩のようなものです。
歌の間のエピソード
歌の背景
*この歌は、『新勅撰集』戀歌三に
「建保六年内裏の歌合の戀の歌」
として載せられています。
待てど暮らせど姿を見せぬ恋人を
待ちあぐむ女性の心のやるせなさ、
もどかしさなどを藻塩の喩えを以て
作られたといわれています。
縁語、懸詞、序詞を巧みに綾なして、
内にくすぶる恋の焔を、
情感溢れる調べに乗せた
悩ましいまでの歌情は
定家の歌風の面目躍如といえます。
『萬葉集』巻六にある
笠金村の長歌
「……淡路島 松帆の浦に
朝凪に 玉藻苅りつつ
夕凪に 藻塩焼きつつ あまをとめ……」
を本歌とした和歌になります。
「建保六年内裏の歌合の戀の歌」
として載せられています。
待てど暮らせど姿を見せぬ恋人を
待ちあぐむ女性の心のやるせなさ、
もどかしさなどを藻塩の喩えを以て
作られたといわれています。
縁語、懸詞、序詞を巧みに綾なして、
内にくすぶる恋の焔を、
情感溢れる調べに乗せた
悩ましいまでの歌情は
定家の歌風の面目躍如といえます。
『萬葉集』巻六にある
笠金村の長歌
「……淡路島 松帆の浦に
朝凪に 玉藻苅りつつ
夕凪に 藻塩焼きつつ あまをとめ……」
を本歌とした和歌になります。
語の解釈
*「松帆の浦」は、淡路島にあります。
淡路島の北の端っこにある
岩屋村という所の海辺のことです。
向かい側は、明石と須磨になります。
ここは、萬葉の時代から
和歌に詠われています。
また、「松帆」の「松」は、
人を「待つ」を重ねた掛詞になっています。
淡路島の北の端っこにある
岩屋村という所の海辺のことです。
向かい側は、明石と須磨になります。
ここは、萬葉の時代から
和歌に詠われています。
また、「松帆」の「松」は、
人を「待つ」を重ねた掛詞になっています。
*「夕なぎ」とは、漢字では「夕凪」と書き
「夕方、海の風も波も静かになること」をいいます。
*「焼くや藻塩の」とは、
「焼くや」は「焼いている」という意味になります。
昔、塩は海の藻に
海水をかけて塩分を付着させて、
その海藻を焼いて灰を水にかき混ぜて、
その上澄みを煮詰めて塩を作りました。
これが藻塩です。
「焼くや」は「焼いている」という意味になります。
昔、塩は海の藻に
海水をかけて塩分を付着させて、
その海藻を焼いて灰を水にかき混ぜて、
その上澄みを煮詰めて塩を作りました。
これが藻塩です。
*「焦がれつつ」とは、
「燃えるように思っている」という事です。
なお、「松帆の~藻塩の身も」は、この「焦がれ」の序詞です。
人物
*権中納言定家とは、藤原定家のことです。
藤原定家はこの百人一首を選んだ人です。
定家は、藤原道長の流れをくむ
摂関家の家柄に生まれました。
父は藤原俊成
(第八十三番「世の中よ道こそなけれ」の作者)。
*定家が百人一首を撰んだ小倉山荘跡
(京都嵯峨野・二尊院の裏)
平成19年3月百人一首京都研修旅行にて
政治よりも学問の方に力を注ぎ、
和歌では『新古今和歌集』の選者、
『源氏物語』を始め多くの古典を
後世に伝えることに功績がありました。
その子孫は、冷泉家として今も続いています。
和歌の家元もいえる
冷泉家や二条家はこの定家を祖としています。
かるた一口メモ
この札は二字決まりの札です。
「こぬひとの」の二音「こぬ」で取れる札です。