本稿は3月19日の續きになります。   
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97 權中納言定家

  (ごんちゅうなごんていか)  
藤原定家
   (1162年~1241年 

 


*権中納言定家・藤原定家(京都時雨殿所蔵)

 
 


来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに
  焼くや藻塩の身もこがれつつ


 (新勅撰集)
 
(歌の詠み方)

上の句 こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎに
下の句 やくやもしおの みもこがれつつ

《歌意》
 毎日、夕暮れになると待っても待っても
 来ない人を待ちわびて、
 身も心も焼け焦がれる思いの私は、
 松帆の浦の夕凪に海女たちが
 焼くあの塩のようなものです。

 

 歌の間のエピソード

 歌の背景

*この歌は、『新勅撰集』戀歌三に
 「建保六年内裏の歌合の戀の歌」
 として載せられています。

 待てど暮らせど姿を見せぬ恋人を
 待ちあぐむ女性の心のやるせなさ、
 もどかしさなどを藻塩の喩えを以て
 作られたといわれています。
 
 縁語、懸詞、序詞を巧みに綾なして、
 内にくすぶる恋の焔を、
 情感溢れる調べに乗せた
 悩ましいまでの歌情は
 定家の歌風の面目躍如といえます。
 
 『萬葉集』巻六にある
 笠金村の長歌
 
 「……淡路島 松帆の浦に
  朝凪に 玉藻苅りつつ
  夕凪に 藻塩焼きつつ あまをとめ……」

 を本歌とした和歌になります。
 

 語の解釈

*「松帆の浦」は、淡路島にあります。
 淡路島の北の端っこにある
 岩屋村という所の海辺のことです。
 
 向かい側は、明石と須磨になります。
 


*松帆の浦

 
 
 ここは、萬葉の時代から
 和歌に詠われています。
 
 また、「松帆」の「松」は、
 人を「待つ」を重ねた掛詞になっています。
 
 
*「夕なぎ」とは、漢字では「夕凪」と書き
 「夕方、海の風も波も静かになること」をいいます。
 
 
*「焼くや藻塩の」とは、
 「焼くや」は「焼いている」という意味になります。
 
 昔、塩は海の藻に
 海水をかけて塩分を付着させて、
 その海藻を焼いて灰を水にかき混ぜて、
 その上澄みを煮詰めて塩を作りました。


*藻塩作り(宮城県・鹽竈神社藻塩燒神事)

 これが藻塩です。

 
*「焦がれつつ」とは、
 「燃えるように思っている」という事です。
 
 なお、「松帆の~藻塩の身も」は、この「焦がれ」の序詞です。
 

  人物
 
 
*権中納言定家とは、藤原定家のことです。
 
 藤原定家はこの百人一首を選んだ人です。
 

 
 
 定家は、藤原道長の流れをくむ
 摂関家の家柄に生まれました。
 
 父は藤原俊成
 (第八十三番「世の中よ道こそなけれ」の作者)。



*定家が百人一首を撰んだ小倉山荘跡
 (京都嵯峨野・二尊院の裏)
 平成19年3月百人一首京都研修旅行にて


 
 政治よりも学問の方に力を注ぎ、
 和歌では『新古今和歌集』の選者、
 『源氏物語』を始め多くの古典を
 後世に伝えることに功績がありました。
 
 その子孫は、冷泉家として今も続いています。
 


*京都にある冷泉家(百人一首京都研修旅行にて)

 
 
 
 和歌の家元もいえる
 冷泉家や二条家はこの定家を祖としています。
 
 
 かるた一口メモ
 
 この札は二字決まりの札です。
 「こぬひとの」の二音「こぬ」で取れる札です。