本稿は8月18日の續きになります。   
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56 和泉式部  (いずみしきぶ)

  (975年頃~没年不明)

平安時代後期        (後拾遺集)



 
*和泉式部(京都時雨殿所蔵)




あらざらむこの世のほかの思ひ出に
  いまひとたびのあふこともがな


(歌の詠み方)

上の句 あらざらん このよのほかの おもいでに 
下の句 いまひとたびの おうこともがな


《歌意》
 私は間もなく死んでしまうでしょうが、せめてあの世における思い出に、もう一度だけ、お逢いしたいものでございます。


 歌の間のエピソード

 歌の背景

*この歌は『後拾遺集』の詞書に、
 「心地例ならずはべりけるころ、
  人のもとにつかはしける」とあります。

 病の床に伏せっている時に
 愛する人に贈られた和歌ということです。

 この「あらざらむ」の歌に溢れている真情は、
 死を予感した時でさえ
 愛執に踏みとどまろうとしています。

 彼女には世間からの
 評価など全く関係ないのです。

 あくまでも自分に忠実に
 恋に生き恋に死ぬ。

 これこそが彼女の人生であり和歌なのです。


 語の解釈


*「あらざらむ」とは、
 「私は死んでしまうでしょう」という意味になります。

 「あら」は接頭語で漢字では「現」と書きます。

 意味的には「この世にあらわれている」
 こんな事になります。

 「ざらむ」は連語で
 打ち消しの助動詞「ず」の未然形と
 推量の助動詞「む」の合わせたものになります。

 意味は「…ないだろう」になります。


*「この世のほかの」は、
 「あの世の」という意味になります。


*「あふこともがな」とは、
 「お逢いしたいものです」という意味になります。

 「もがな」とは、願望の助動詞になります。

 「してほしい」「したい」という意味です。

 「あふこと」は「おうこと」と必ず詠んで下さい。


 人物

*和泉式部は、平安王朝中期以降における
 女流歌人の頂点に立つ人と言われています。

 また、和歌史上最も素晴らしい
 女流歌人と評された小野小町の後を嗣いだ歌人、
 そして、情熱のすべてをかけて
 恋に身を焦がし尽くした
 女性としても語り継がれています。

 歴史上の女流歌人五人を挙げるとしたならば
 必らず入って来る女性です。



*和泉式部の名前は、
 夫の任地「和泉」と父の役職「式部」からこう呼ばれました。

 和泉式部のお墓は、
 京都市中京区新京極六角という所にあります。

 この他、東北から九州まで
 全國各地に墓が存在して居ます。



*和泉式部の墓(京都市京極にある誠心院内)



 赤染衛門(第五十九番「やすらはで」の作者)は、
 和泉式部の叔母にあたるといわれています。


*和泉式部の生きた時代は、
 平安時代でも最も文化の花が
 咲き誇った時代だったといえます。

 そして、紫式部、清少納言、赤染衛門、伊勢大輔他、
 女性の才能が最も花開いた時期でした。


*紫式部は、和泉式部のことを
 あまりよく思っていなかったようで、
 『紫式部日記』で非難をしています。

 その一節は

 「和泉式部という人こそ、
  面白う書き交わしける。
  されど、和泉はけしからぬ方こそあれ」

と書かれています。



*小式部内侍こしきぶのないしは、



*小式部内侍(京都時雨殿所蔵)

 (第六十番「大江山いく野の道の遠ければ」の作者)

 和泉式部の娘です。





 小式部内侍が若くして亡くなった時、
 和泉式部は次の歌を歌っています。


わかれゆく心を思へわが身をも
  人の上をも知る人ぞ知る



 かるた一口メモ

 この札は、「あら」で始まる札二枚の内の一枚です。

 「あらざ」と三音を詠んだら取れる札です。





 もう一枚は
 「嵐ふく三室の山のもみぢ葉は
  龍田の川の錦なりけり」(能因法師)です。




 こんど「あら」と詠んだらその札を取って下さい。

 「いまひとたび」という取り札は二枚あります。


  



 「いまひとたびのみゆきまたなむ」ではありませんか? 


 その札は「小倉山」と詠んだら取って下さい。