けふは五一五が起きた日です。

 皇國日本の昏迷せるを憂ひ、昭和七年五月十五日蹶起した十数人の青年将校と民間人の青年達。


 其の中心に居たのが海軍中尉三上卓でした。




 維新革命とは何か。

 日本人の常識と歴史から見れば、
 きはめて平凡な、
 ただし命懸けの青年の矜持です、
 行動です。

 神武の建國、建武中興、大化改新、明治の維新、
 すべてこれ青年のまつりまつろひ、
 中心歸一への青年的創造であり、
 創造的行動でありました。


 

 この言葉は三上卓のものであります。
 三上卓。



 昭和七年五月十五日夕刻午後五時半。


 その事件は起きました。





 永田町首相官邸で時の総理大臣犬養毅が青年将校によつて射殺されました。


 これが世にいふ五一五事件であります。


 この事件の中心に居たのが當時二十八歳の三上卓海軍中尉であります。


 この事件で禁固十五年の刑を終え、戦中戦後に亙り一貫として國家復興運動に邁進した三上卓は、大東亜戦争敗戦後日本が經濟復興した頃に次のやうな文章を残してゐます。

 

   跳梁する化けもの

 百鬼夜行……といふ言葉がある。

 世の中が亂れ、人の心が濁って、
 金が凡てを支配するやうになつてくると、
 人間の皮を着た”ばけもの”が夜も昼も群れをなして現れる。
 人をだまし、むさぼり、おとし入れて、悪事と化樂の限りをつくす。
 化けもの一家は、この乱脈、堕落、混迷、不信、腐臭の中に生き甲斐を感ずる。
 そして「俺たちこそ人間どもの代表者だ。代弁者だ」という。

 中略


 要するに、個人主義と唯物思想で物事を割り切る他に術を知らなくなつた人間の世界では、政治の不信、經濟の混迷、文化の喪失、道義の退廃などは、ごく當り前のことである
 この文章を讀んで今から数十年前に書かれた文章に思へぬほど現代に於ても合致してゐるやうに思へます。


 政治への不信、經濟の混迷、文化の喪失、道義の頽廢の總てが現在も同じ状況ではないでせうか。


 將に混迷を深めてしまつたこの日本といふ國を救ふには維新革命しかないと思へてなりません。


 冒頭の言葉にあるやうに歴史を顧みれば維新革命の實践者は青年諸君といふ事になります。


 大化改新は天智天皇十九歳の時。


 建武中興を推進したのが北畠親房を初めとする二十代の若手公卿達でありました。


 戰國時代も織田信長、豊臣秀吉なども二十代、幕末期も二十代の青年が歴史を動かしたのであります。


 いつの時代であつても歴史を變へるのは青年諸君であります。


 出でよ! 眞の青年。眞の日本男児。


 そして、この國を眞の姿に戻し、美しく氣髙き精神を蘇へらせて欲しい。


 その爲には眞の日本を深く深く學んで欲しい。



*なほ、上記の文章の一部は、二年前に書いたものです。
 當時民主党政権で、政治に希望を見出す事ができず、政治不信の憂慮が最高頂の時でした。
 昨年暮より、安倍政権が發足して以來、少し政治に希望を感じてゐます。
 たゞ、一刻も早く日本の國體にそつた社會が實現することを願つて已みません。






*汨羅に身を沈めた屈原の『懐沙の賦』

 世混濁して吾を知る莫く、
 人心は謂ふべからざるなり。
 死の譲るべからざるを知る。
 願はくは愛(を)しむ勿からんことを。
 明かに君子に告げん、
 吾將に以て類ひと爲らんとすと。



 5.15事件の靑年達の志は青年日本の歌(通稱昭和維新の歌)に述べられてゐます。

 この歌の歌詞總べてをけふは擧げておきます。

 味わつて見て下さい。




 青年日本の歌   作 三上卓海軍中尉


一 汨羅(べきら)の淵に波騒ぎ 
  巫山(ふざん)の雲は亂れ飛ぶ
  混濁の世に我立てば 
  義憤に燃えて血潮湧く


二 權門上(かみ)に驕れども 
  國を憂ふる誠なく
  財閥富を誇れども 
  社稷を念ふ心なし


三 噫呼人榮え國亡ぶ 
  盲(めしひ)たる民世に踊る
  治亂興亡夢に似て 
  世は一局の碁なりけり


四 昭和維新の春の空 
  正義に結ぶ益良夫が
  胸裡百萬兵足りて 
  散るや萬朶の櫻花


五 古びし死骸(むくろ)乗り越えて 
  雲瓢揺(ひょうよう)の身は一つ
  國を憂ひて起つときに 
  大丈夫の歌無からめや


六 天の怒りか地の聲か 
  それ只ならぬ響きあり
  民永劫の眠りより 
  醒めよ日本の朝ぼらけ


七 見よ九天の雲は晴れ 
  四海の水は雄叫びて
  革新の機(とき)到りぬと 
  吹くや日本の夕嵐


八 あゝうらぶれし天地の 
  迷ひの道を人は行く
  榮華を誇る塵の世に 
  誰が高楼の眺めぞや


九 功名何か夢の跡 
  消えざるものはただ誠
  人生意氣に感じては 
  成否を誰れか論ふ


十 やめよ離騒の一悲曲 
  悲歌慷慨の日は去りぬ
  吾等が劒今こそは 
  廓淸の血に踊るかな



  昭和五年五月九州、佐世保軍港に於て一夜慨然として青年日本の歌を作る。

 
 當時の一念今なほあり。 



 昭和四十二年録す  三上 卓