9月26日が出産予定日だった我が息子ですが、なんと2ヶ月も早く、7月21日に生まれてしまいました。

以下、「ご報告」と言いつつ自分のための記録を兼ねているので長いです!
お暇な方はどうぞ。

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21日の朝に異変を感じ、夫についてきてもらっていつも行っている病院へ。
診察してもらったら、「もう生まれちゃう!赤ちゃんすぐそこまで来てるよ!」と言われました。
ぇええー!
まだ妊娠8ヶ月、在胎30週3日。あとたっぷり2ヶ月はお腹の中にいていいはずです。
切迫早産かも、とは思っていましたが、ここまで来たらもう産まざるを得ない(赤ちゃんが元のように子宮には戻らない)とのこと。
しかも逆子!
1週間前の定期健診では何の異常も問題もなく、逆子でもなかったのに!

診察室を出たらストレッチャー。
ここの病院では対応できないそうで、生まれてしまわないように子宮の収縮を止める薬をかなり多めに点滴されながら搬送先の病院が決まるのを待ちました。
ほどなくして、NICUのある船橋中央病院が受け入れ可能とのことで、そのまま救急車で搬送。
救急隊員の皆さん、とっても親切で優しかったです。

搬送先で再び診察を受け、検査の結果帝王切開で出産することになりました。

私の前に帝王切開の人がいるそうで、そちらが終わるのを待ち、18時過ぎから手術。
麻酔は部分麻酔なので意識はしっかりしているはずなのですが、実は私は眠くて眠くて、何度か看護師さんに「眠い?」「もうすぐ赤ちゃん出てきますから、寝ないでくださいねー」と声を掛けられました…。すみません。

18:43に無事出産。
保育器に入った赤ちゃんを見せてくれました。
子宮を切る際に膀胱も切ってしまったそうで、膀胱も縫い合わせたり泌尿器科の先生が来て診てくれたりしたせいで時間が予定より長くなり、手術が全部終わったのは20時過ぎ。
出産後は手術が終わるまでほとんど寝ていました(笑)。

そのまま病室に運ばれ、ベッドへ。

午前中に診察室から出てストレッチャーに乗せられたあと、ストレッチャー→ベッド→救急車→船橋の病院の集中治療室のベッド→ストレッチャー→手術室のベッド→ストレッチャー→病室のベッド、と寝たまま移動。
手術前までは自分で移動していましたが、手術後は移動させてもらいました。
なるほど自力で移動できない人を移す方法がちゃんとあるのね、と変なところで感心。

夫とアーニャは手術が終わるまでずっと待っていてくれました。
アーニャはただならぬ雰囲気に、ずっと夫にべったり。眠いせいか不調のせいか、身体が熱い。
その後医師から赤ちゃんの状態の説明を受け、夜遅くに帰って行きました。

その夜は辛かった。
術後の傷だか後陣痛だかわからないけれど(多分両方)、お腹が痛い。
痛み止めがまだ入り続けているので耐えられない痛みではないのだけれど、夜中ちょくちょく看護師さんがやってきて、子宮の収縮を見るためにお腹を押していく。これが痛い。
身体を動かした方がいいそうで、私の身体を右に向かせたり左に向かせたり。体勢がきつい。お腹が痛む。

背中に痛み止め、胸に心電図、右手に血圧計、左手に点滴と心拍、お腹にはドレーン、尿管にバルーン、足には血栓防止の装置と体じゅう線やらコードやらでがんじがらめで動くに動けない。

長い夜でした。

私もしんどかったけど、看護師さんも大変!
「大変ですねえ」と言ったら、「滅多にないほど忙しい夜勤です」と笑っていました。
私の後にもう一件帝王切開の手術があったんですって。


翌日も一日中寝たきり。
アーニャが熱を出してしまったので夫は看病、代わりに両親が様子を見に来てくれました。
前日の朝以来絶飲食だったのですが、この日の夕方にお水を飲む許可が出て、夜は液状の夕飯を食べ(飲み)ました。

寝たきりでできることがないので、携帯メールでひたすら仕事の引き継ぎ(笑)。
産休に入るから引き継ぎの準備はしていたけれど、こんなに突然休むことになるとは思わなかったので、伝えきれてないことばかりなのです。

3日目の午後、ようやくベッドから起き上がることが出来、管やコードもかなり外れました。
車椅子に乗せてもらってNICUへ。
息子と面会。

1549gで生まれた息子。
まだ肺機能が未熟で呼吸は補助が必要だし、体温調節も難しいので保育器から出すこともできません。
でも特に問題や障害はないようで、ホッとしました。
小さな、小さな赤ちゃんだけど、お腹の中で数mmだった時から知っている私は思わず「大きくなったね」と言ってしまいました。

在胎が30週を超えるかどうか、出生時の体重が1500gを超えているかどうか。
そこでリスクの大きさがぐんと違ってくるそうです。
欲を言えば肺機能が完成する32週までお腹にいてくれていれば、体重も2000gを超えてくれていれば…と思ってしまいますが、言っても仕方のないこと。
無事に健康に生まれてくれただけで感謝しなくては。


その後私の方は日に日に回復し、傷の痛みもだいぶ楽になりました。

普通はバルーン(尿管につないだ管)は術後1、2日で取れるのですが、膀胱を傷つけた私は1週間外せず。
どこへ行くにも点滴台にくくりつけて持ち歩かなければならず、結構苦痛でした。
その膀胱もちゃんと治り、29日、退院してきました。

息子は保育器に入ったまま。
退院の時期の目安は、元の予定日だそうです。
まだ2ヶ月も先の話。
それまで私はなるべく毎日、搾乳した母乳を届けなければなりません。

母体の回復のため、「出産から1ヶ月は赤ちゃんより重いものは持たないように」「出産から2週間は赤ちゃんの世話以外はなるべく寝ているように」と言われたけれど、なかなかそうはいきません。
アーニャの時は里帰りしていたから、産後1ヶ月まではパジャマで過ごしてたけど、今回は病院に通うため里帰りはできません。
アーニャと過ごせると楽しみにしていた両親をがっかりさせちゃったな。

家から病院までは車でも電車でも片道1時間半くらいかかります。
なかなかキツイけど、今の私にできることは母乳を届けることだけだから…
そして搾乳を続けて、退院してきたときまで母乳が出る状態をキープすることだから、がんばります。


船橋中央病院は総合病院だから、いろんな科があって、いろんな患者さんがいる。

治る病気、治らない病気、よくなる怪我、難しい怪我、いろいろあるけれど、帝王切開手術を終えた私も、小さく生まれた息子も、これからは(基本的には)良くなる一方なわけで。
それって本当に有難いことだなあと思います。
おかげさまで息子は少しずつ体重が増え、哺乳量が増え、補助なしの自発呼吸の時間が増えてきています。


最初に診察室から出てストレッチャーで運ばれている時と、初めて一人でNICUに面会に行った時の2回、ぼろぼろと大泣きしてしまいました。
息子に申し訳なくて、もうお腹にいないことが悲しくて。
ついつい「ごめんね」と言ってしまうのだけれど、謝るのはもうやめようと決めました。
無事に生まれて、がんばって成長しようとしている息子を否定しているみたいだから。
ちゃんと生きて、大きくなろうとしてるんだから。


というわけで。
息子は入院中ではあるけれど、晴れて4人家族になりました。
よろしくお願いします☆