天明3年(1783年)浅間山大噴火の際

土石なだれで埋まった鎌原村の犠牲者供養に

善光寺大勧進住職が訪れていた。


今では7年に一度の善光寺の御開帳が

この浅間災害の供養のための御回向が

なんと起源だったらしい。😲


浅間山噴火は、いろんな始まりを産んだんだなぁ🤔


そして大噴火のとき、善光寺の本堂から一体の仏像が飛び出し一直線に浅間山の方に向かって飛び去って行ったっきり戻らないとのこと。

それ以来、本堂の二十五菩薩像はひとつだけ台座が残されてると。

浅間山の守り仏の虚空蔵菩薩が心配で様子を見に行ってしまったのだろうと言われているとか。

次回参詣の際は、チェックしなければ💧