職業柄、人と知り合う機会は多い。
とくにパーティー会場などは出会いの宝庫だ。
しかし、仕事を離れてぶらりと立ち寄ったスナック、あるいは近所のサウナなどで思わぬ知己を得ることもある。
今回読者の皆様にご紹介する人物との交遊は、そんな偶然の出会いをきっかけとして始まった。
その経緯については後ほど述べるとして、その前に数10年前に起きたある社会現象について触れておかねばなるまい。
若い読者諸君はご存知ないだろうが、1989年バブル経済の真っ只中にあったここ日本で一編の童話が話題を集めた。
「一杯のかけそば」
これは作家栗良平氏が1988年に発表した作品で、1989年の衆議院予算委員会で某議員が質疑の際に、この作品の全文を朗読したことでも話題となった。
あらすじを簡単に説明すると、要するに3名の貧乏人が入店したそば屋で人数分のそばを注文せず店主に迷惑を掛けたというだけの話なのだが、詳しい内容を知りたい方は書籍を購入するなどしてご確認頂きたい。
この作品は一大ブームを巻き起こし、作家は一躍時の人となった。
しかし、同年5月事態は急変した。
作家はこの話を実話として売り出していたのだが、テレビなどで次第に作中の不自然な箇所が指摘されるようになり、疑問を抱いた読者らは感動を返せとばかりに作者を非難し始めた。
さらには、その後作家の素行の悪さが明るみになったこともあり、翌6月にはブームは早くも終焉を迎えた。
作家本人が認めたかどうかは寡聞にして知らないが、いま現在では国民のほとんどがこの童話を創作だと認識していることだろう。
しかし、そんな世間の評価と対立する形で「一杯のかけそば」は事実だと主張する人物がいる。
これからご紹介する牧田善三氏がその人だ。
牧田氏とはアルバイト先のスーパーで知り合った。
(私にも、筆一本では食いつなぐことが出来ない苦しい時期があったのだ…)
あれは1996年の秋頃のことだった。
午後の品出し業務を終えた私が喫煙所で一服していると、40前後の見慣れない男が挨拶をしにやって来た。
男は新入りのアルバイトで、自らを牧田善三と名乗った。
私と同じ品出し業務の担当だったこともあり、仕事を教えたりするうちに次第に仲良くなり、やがて身の上話をするほどまでに打ち解け合ったのだ。
そんなある日、牧田氏は喫煙所で私にこんなことを話し始めた。
「『一杯のかけそば』って童話をご存知でしょう?あれ実話なんですよ。なにを隠そう、あの話に登場する親子は私たち家族がモデルになっているんです」
私は驚愕した。
なぜなら、私自身もてっきりあの話は作りものだと思い込んでいたからだ。
牧田氏の告白を聞くにつけジャーナリスト魂に火が付いた私は、牧田氏にこう掛け合った。
「実は私の本業はジャーナリストなんだ。ぜひインタビューを受けてくれないか?君には栗良平氏の汚名を晴らす義務がある。そう思わないか、牧田くん?」
牧田氏は簡単に首を縦に振ろうとはしなかった。
しかしそれから3ヶ月に及ぶ交渉を経て、ようやく取材を受けることを承諾してくれた。
インタビューは1997年の1月に東京都内の喫茶店で行った。
当初、予定していたタイトルはこうだった。
「独白!日本全土を感動の渦に包んだ少年がいま真実を語る。『一杯のかけそば』は実話だった!?」
さて、日本全土を席巻した「一杯のかけそば」騒動の裏に隠された真実に、読者の皆様は今度こそ本物の涙を流されるのだろうか?
彼の言葉を信じるか信じないか…。
それはあなた次第だ。
ーー えー、牧田くん。これはあくまでもインタビューです。私も口調を改めてジャーナリスト南出しげるとして君と対峙するので、そこのところご理解願うよ。
「ええ。分かりました」
ーー まずは、世間一般に「一杯のかけそば」がフィクションだと認識されていることについて、率直な思いを述べて下さい。
「はい。まあ、あれはあくまでも作品ですから、作家によって脚色が為されています。しかし、本当の話を元に書かれたということは紛れもない事実なのです。私こと牧田善三はあの物語に登場する長男でして、作中に現れた母も弟も実在します。また、1972年に北海道の蕎麦屋を訪れたことも、3人で一杯のそばを注文したことも事実です。ですから、世間一般に誤った認識が広がっていることについては正直残念に思っております」
ーー なるほど。では、作品と事実との具体的な相違点を挙げて下さい。
「まず、私たちが蕎麦屋を訪れたのは大晦日ではありませんでした」
ーー ほう。では、店を訪れたのはいつのことですか?
「あれは12月26日のことでした」
ーー 随分と昔のことなのによく覚えていますね? しかもあなたはまだ子供だったはずです。
「なぜ私が正確な日付を覚えているかと言うと、それは前日にクリスマスパーティーを開いたからです」
ーー クリスマスパーティーですか…。
「はい。母が毎年オーブンで七面鳥を焼くんです」
ーー 七面鳥…。
「クリスチャンでもないのにおかしいですよね?」
ーー いや、そういう問題じゃなくて…。
「あともう一点、事実と異なるところがあります」
ーー なんですか?
「蕎麦屋で注文した商品についてです」
ーー ほう。
「たしかに私たち親子はそばを一杯しか注文しませんでした。しかし、注文したのはかけそばじゃありませんでした」
ーー かけそばではない?…となると、あなたがた親子が注文した商品とは?
「『天とじデラックス』というメニューでした」
ーー て、天とじ…。
「天とじデラックスです」
ーー ええ、ええ。それは分かっているんですけども。…ちなみに天ぷらの内容は?
「えーっと…。なす、さつまいも、レンコン、大葉。それにちくわ、キス、エビなんかが乗っていたように記憶しております」
ーー キ、キスにエビですか?
「はい。2尾ずつ…」
ーー ....たしかにデラックスですね。んー…。まあ、天ぷらの話はこれぐらいにしましょう。しかしですね、どうしてあなたち親子は3人で一杯しか蕎麦を注文しなかったのですか?
「弟が腹を壊していたんです」
ーー …。
「あ、そうだ!」
ーー どうしました?
「天ぷらのなかには、ししとうもありました」
ーー 天ぷらの話はもう結構です。しかしデラックスとは言え、3人でそれ一杯しか注文しなかったことは事実なのですね?間違いありませんか?
「ええ。たしかに一杯しか注文しませんでした。しかし、それにはちょっとした訳があるのです。
( ※ 画像はイメージであり、本文中に登場する商品とは異なります)
ーー と言いますと。
「当初、母と私は天とじそばをそれぞれ一杯ずつ注文するつもりでおりました。ところが、お店の方から2人で食べるなら『天とじデラックス』のほうがお得だと聞かされて、それならば…と注文を変更したのです。
ーー つまり『天とじデラックス』という商品は、一杯で2人前のボリュームがあったと、こういうことですか?
「そうです。結局2人では食べきれなくて、それまで腹が痛いと言って拗ねていた弟も天ぷらを幾つか食べました。弟はエビを食べたがったのですが、私もエビは大好物なものですから、ちょっとした兄弟喧嘩のような…」
ーー 本筋と関係のない話は慎んでください。
「すみません」
ーー 不躾な質問で恐縮ですが、お父様は…?
「蕎麦屋に入る直前までは行動を共にしておりました。
ーー あ。お父様はご健在だったんですね?
「ええ。おかげさまで、今年還暦を迎えました」
ーー …お、おめでとうございます。えー。…で、どうしてお父様だけ別行動を?
「これはあくまでも憶測ですが、立ち去る父の背中に向けて、母が『このどスケベ!病気でも貰って来い!』などといった悪態を吐いていたことから察するに…」
ーー もう結構です。あのー…。
「なんでしょう?」
ーー これはあくまで個人的な見解ですが、私にはあなたがいまお話しなったエピソードが童話と似ているようには思えませんね。ちなみに著者である栗良平氏からご家族の誰かが取材を受けたりしましたか?
「いいえ」
ーー ではですよ、なぜあなたは「一杯のかけそば」に登場する親子が自分たちをモデルにしていると思うのですか?
「スナックのママがそう言ったからです」
ーー ちょっとなにを話しているのか分からない。
「説明します。あれは数年前のことでした。いま南出さんにお話しした蕎麦屋での出来事をスナックのママに話して聞かせたんです。するとママはこんなことを言いました。…あんた、それ『一杯のかけそば』じゃないの。きっと作家が蕎麦屋でその話を聞いてネタにしたのよ。あれ、すっごい流行ったわよね? あんたさあ、作家に掛け合って幾らか印税を別けて貰いなさいよ。まったくひどい話ね…と」
ーー …ふーん。ということは、数年後に蕎麦屋を訪れたりもしなかった?
「はい。北海道は遠いですから」
ーー え?…あなた方親子は北海道に住んでいたんでしょ?
「いいえ。新宿です」
ーー 新宿…。じゃあ、どうして北海道に?
「スキー旅行で訪れました」
ーー …ちょっと頭が痛くなって来ました。えー…今日のところはこの辺に…。
「あの…」
ーー なんですか?
「印税の取り分って幾らぐらいになりますかね?」
(1997年2月 東京都内某所にて)
栗良平氏が、この日牧田氏が語ったエピソードを元に「一杯のかけそば」を書いたのかどうか、真実は作家本人しか知りえない。
しかしことの真偽はさて置き、牧田氏が決して嘘を吐いたり人をおちょくったりするような人物ではないことだけはたしかである。
スーパーでの勤務態度は極めて良好で遅刻や欠勤もなかったし、上司からの信頼も厚く、わずか半年でバイトリーダーに昇格したほどの好人物なのだ。
彼の人となりについては、この私が保証する。
兎にも角にも私がこの取材を経て学んだことは、世の中にはよく分からないこともあるということだ。
このインタビューはそもそもとある週刊誌に売り込む目的で行ったのだが、取材内容をうまく記事にまとめることが出来なかったため、売り込みは断念した。
真相はいまだ藪の中だ…。
2021年11月 ジャーナリスト 南出しげる ©️Shigeru Minamide