安全管理の基本はシンプルで、「危険」を認識することだと私は考えている。
「危ない」と思って注意しながら慎重に行動をすれば、事故が起こる確率が相当減るであろうことはは誰にでも想像できると思う。
以前、「毎日小学生新聞」の見出しに「あぶないところに気をつけよう」とあったのを見つけ、これこそ安全管理を本質、と思って社内で紹介したことがある。
まずは危ないと認識することが、具体的な対策や行動への動機づけになるといえる。「会社や上司がいっているから」という主体性を欠いた動機では本気の安全管理にならない。
何度か書いている通り人間には「自分は大丈夫だろう」と思い込んでしまう「正常性バイアス」という心理的特性があるため、ついこの基本を忘れてしまいがちである。
何年か前に栃木県のスキー場周辺で山岳部の顧問1名と高校生7名が犠牲になった雪崩事故が発生した。記者会見で引率教諭が「絶対安全と判断した」と説明したことが印象に残っているが、このように「絶対安全」という考えを持つと「リスク」が見えなくなってしまうのだと私は思う。その判断が大勢の若い命を失うという結果を招いてしまった可能性がある。
13年半前の福島での原発事故もそうであった。
それ以前、東京電力は「三重の多重防護によって原発の安全性は絶対に確保されている」と説明していた。
安全管理の専門家が当時書いた著書の中でこんな文章があった。
たとえば原子力施設などでは、「絶対に安全です」というタテマエに縛られて、万一の大事故への備えがとりにくくなっているのではないかと心配である。
「絶対に安全です」と組織が主張すれば、対策を講じる必要はなくなってしまうのです。なぜなら「絶対に安全」なのだから。
仕事をしている以上、事故や感染症、そしてその他にもさまざまなリスクが存在してしまう。
対策するには、それぞれ置かれた環境の中で優先順位をつけて、「危ない」ことをしっかり認識して行動につなげていく意識づけをするしかないと思うのだ。
こちらも何度か紹介している言葉だが、改めて。
心配する仕事に事故はなし 今日も心配明日も心配