早朝散歩をしていると、時に新聞配達の方々に遭遇する。
スーパーカブに大量の新聞を載せて走っている姿だ。姿を見ないものの、小刻みに停止するバイク音にも存在に気づかされることも多い。
思えば私が最初に経験したお金をもらう仕事が、この新聞配達であった。
中学1年の頃である。現代の感覚でいえば随分早いアルバイトのように思えるが、友人と2人で始めたことを覚えている。
最初の日に地図をもらって会社の方と一緒に担当するコースを回って配達方法を教わり、翌日からは一人でやることになった。
この頃の記憶ははっきり残っている。自分から始めたアルバイトだったが、1週間くらいすると苦痛で仕方なくなったのだ。
現在は完全な朝方であるが、当時は朝早く起きるのがとてもきつかった。
1ヶ月がんばってもらったお給料を(数千円程度だったと思う)親に見せたら、当時まだ同居していた祖父が、神棚に飾ってくれたのをよく覚えている。
だだ結局苦痛に耐えられず、数か月でやめてしまったことも同様に覚えている。
話は変わるが、デジタルの時代である。
多くの情報はパソコンやスマートフォンで入手するのが当たり前になってしまった。
それでも新聞はまだ存在する。私自身も毎朝じっくり新聞を読む習慣は変わらない。
目で見ている限り、新聞配達をされている方は高齢者のように思う。若い方は見たことがない。当然40年前の私のような中学生なんていない。
少子高齢化、人口減の時代が加速的に進む我が国で、いずれ新聞が届きにくくなる日が来るのではないかと心配する。
われわれ建設業が機能しなくなる不安と同様に日常をおびやかす問題ではないだろうか。