明日 | 永遠に永遠に‥

永遠に永遠に‥

大好きなBUCK-TICKのこと

前記事の法話は

叔父の葬儀でのことでした


この記事は

叔父が亡くなったお話です

ある日 急に亡くなりました…


「死」というワードがつらい方は

ここで閉じていただいた方が

良いかもしれません…



ただ…

私があっちゃんを追いかけたように

叔父にも人生かけて追いかけた

アーティストがいました

そんな叔父の推し活人生

読んでいただけたら幸いです























唐突だけど

叔父が急死した…


本当に突然のことで

驚きすぎて言葉が出なかった


まだ60歳なかばだよ…





その日の朝

職場で亡くなっているのを

叔母が発見した…


この日に限って

翌日締め切りの仕事があり徹夜で

事務所で仕事をしていたとのこと…







私が叔父に会えたのはその2日後

すでに納棺されていて

胸元より上しか見ることはできなかったが

白いスーツを身につけていた







そう…

叔父の大好きだったこの方と同じく…

真っ白なスーツを…




叔父は永ちゃんの大ファンだった

若い頃にキャロルのコピーバンドを組み

40年以上追いかけてきた





今年のお正月に

恒例の親族新年会で会った時

去年の12月の武道館公演の話をしてくれた




永ちゃんにとって去年の武道館は特別で

通算150回目の武道館だった

でも本当は

それはおととしに実現するはずだった

おととし、永ちゃんは喉の不調で

150回目の武道館公演の中止を発表している

だから、去年の武道館公演は

ファンが待ちに待ったライブだった


同じく武道館が特別な存在だった私は

この公演の記事を読んだ時泣いてしまった

「たまんねぇよ!」リベンジ武道館150回



そして

叔父が楽しそうに話していた



毎年行っていた

永ちゃんの聖地 広島

コロナ禍でずっと行けなくて

去年やっと行けたと


叔父は広島の他にも

たくさん遠征していた

その時には必ず

この白いスーツを身につけて参戦していた


叔母は時々叔父と一緒に

ライブに行っていた


「いつもね、ホテルで着替えてたの

 地元からこんなの着て行ったら

 なんだこの人って思われるよね

 でもね、会場に行くと

 こんな人がいっぱいなのよ」



叔父に会いに行った時

叔母がそう話してくれた


叔父を発見した時の叔母の気持ちや

どんな思いでこのスーツを着せたのか

叔母の気持ちを考えると

ほんとうにつらかった





私は時々叔父のSNSを覗いていた

これは去年の武道館公演

ほんとはこのうれしそうな顔を

見てほしいんだけど…


いや…うれしいはずだよ…

だって

この日の前の晩にトレードが成立して

ここに立っているのだから…

武道館4daysのうち2日参戦して

ツアー最終日の横浜アリーナに参戦

12月に3本のライブ…

うらやましすぎる(泣




そして

150回目の武道館公演の

円盤発売の時の叔父のポスト

ライブ行ったら、次は円盤!!

そうだよね…




デニムの後ろポケットに「E.YAZAWA」の刺繍

ベルトに「E.YAZAWA」のロゴなど

いつもさりげなくなにかしら身につけていた

もちろん車のナンバーは「830」




お正月、叔父の話を聴きながら

いいなぁ、羨ましいなぁと思ってた

この時の私はあっちゃんがいなくなった

喪失感でいっぱいだったから…

追いかける人が元気に活動してくれるって

しかも今74歳だよ!

ほんとに羨ましかった




以前、叔父から聞いたことがあった

「永ちゃんがいつ引退するか

 いつも覚悟しながらライブに行ってる」と





なのに…

なのに…

なのに…

永ちゃんより

先に逝ってしまうなんて…




しかも

今年の秋から始まる

今年のツアーのチケットが

当たったばっかり

盛岡だってさ…

それともう一ヶ所…

また遠征する気 満々じゃん!!




その日に向けて

また一生懸命働いて

スケジュール調整して

出かけるんでしょ!!





でもね…

チケットの当落発表日に

叔父は亡くなった…

たぶん

当選を知らないまま…だよ…





一緒に出かけるわけでもないし

永ちゃんファンでもないけど…


武道館が特別な場所だったり

広島を聖地として崇めたり

なんだか他人事と思えなくて

悔しくて悔しくて泣いた







15年ほど前

叔父は生死を彷徨ったことがある

大動脈解離という大病…

血管がヒビ割のように裂ける病気

しかも広範囲に裂けてしまった…

医者が奇跡だというぐらいの

ほんとに奇跡の生還だった



開胸手術のせいで声帯に傷がつき

大きな声で「ガハハハ」と

笑っていた叔父の声は

かすれてしまっていた



それでもきっと

永ちゃんコールを

たくさんしてきたのだと思う





これで永ちゃんが引退するまで

すべてのツアー

すべての会場に

自由に行けるようになったんだろう

そう思わないと

悲しくて切なくてどうしようもない…





最期は

白いスーツに

ハットを被りエナメルの靴を履いて

旅立っていった

ほんとにかっこよかった…



だから

「いってらっしゃい」とお別れした





できごとはまったく逆だけど

叔父も私も

もう推しに逢えない




でも

私には

行きたいところ

会いたい人のところに

行ける足がある




明日は必ず来るとは限らないことは

あっちゃんが教えてくれたのに

もう忘れかけていた


叔父は

それをもう一度私に教えてくれた





50歳になった私

人生はもう半分も残っていない

そして

自由に動ける時間も身体も限られている



人はこんなにも突然終わりを告げる




泣きながらでも

私は生きていかなくてはならない




悲しみは癒えないけど…

人生は容赦ないけど…

歩いて行く…



自分の足で…