あと数日は天気の回復が見込めない。ただ道路の補修工事が始まった、とGSのおじちゃんが

ラジオを聴いて教えてくれた。


目の前に一台のキャンピングカーが停まった。

おじちゃんがきいてくれた。


「ノースマンに行くらしい。余裕があるから、乗せてあげるよって言ってくれてるよ」


私の代わりにヒッチハイクしてくれた。


どうしよう、どうしよう。悩んでる時間はハッキリ言ってない。


「これから先車は来るだろうけど、乗せてもらえるかは賭けだな。天気の回復を待つ間に、また

ヒッチできるかもしれないし、できないかもしれないし」


そう、そこなんです。これは運なんです。この先強行して走ってもし何かが起こった場合、

こんな風にタイミングよくヒッチハイクできるかどうか。もしできたとしてもまさたかは?


目の前の車なら、自転車も積んでもらえるらしい。

目指す先の空は、真っ暗。


フッ・・・と、緊張の糸が切れた音が本当に聞こえた。


「乗せてもらえますか?」


私のチャリ旅が終わった瞬間だった。

みたい景色を自分の動力だけでみることができた。それだけで十分満足だったのもあるし、

自分は1周とか横断とかを目的にしていたわけでもなかったからか・・・。


ただ天候の回復をやり過ごす、という余裕がなかった。今なら、経験上、できるだろうけど。


彼の名はジェームス。とてもかわいい笑顔をする人だった。スコットランドの出身で、

なんとアデレードのヘンリービーチに住んでいるらしい。

ヘンリービーチは、私が語学留学していたときに住んでいたところ。これもなにかの縁だったのか。


ひとりで車を運転していたからなのか、よくしゃべるしゃべる。ほんとに黙っている時間がないほど

しゃべるジェームス。

自転車だと時速8キロがやっとの強風の中を、100キロで走って行く。かなり切ない。

それでも、普通なら135キロはでてるんだよって言われた。いったい風速何メートルだったんだろう。


お昼ご飯は、クックルビティの鍾乳洞の近くのロードハウスでとった。

ジェームスがおごってくれました。なんともありがたい・・・。

鍾乳洞もみてみたいとか思ったけど、ヒッチの身ではそうは言えまい。


行き当たりバッタリ・よつば旅

ロードハウスの屋根が風でバッタンバッタンめくれる。トタンというかなんというか・・・。

立ってるのもやっとの風の中、これでは私の漕ぐ力では時速5キロも無理だと思った。歩いてるのと

変わらない・・・。


黒い雲がなくなってきたのをみて、1日待てばもしかしたら天気になったのかもしれないなぁと思った。

途中で道路の迂回路をつくっていたのをみて、これって走れたんじゃないだろうか、とも思った。

でも今そう思っても決断したのはあの真っ黒な雲が怖かったから。

それでよかったんだと言い聞かせた。


途中、ナラボーで有名な90マイルストレートの看板が見えた。

その名の通り、その看板から先は、90マイル延々真っ直ぐな道。

この道も、走ってみたかったなぁ。



行き当たりバッタリ・よつば旅

90マイル、146.6キロ走った先に見えてくるのは・・・


行き当たりバッタリ・よつば旅

左にカーブ、の看板。

一日で146.6キロ、走れるなら走ってみたかったと思う。

死ぬまでにいつかこの区間だけでも走りたいと思うけど、きっと無理だろうなぁ・・・。


乗っけてもらってて、ずっと考えてたこと。

このままチャリダー終わってもいいのかなぁ・・・。ほんとに後悔しないかなぁ・・・。


タカシくんは、体調が悪くてヒッチしたけど、よくなってからまたヒッチした場所までヒッチしなおして、

再スタートを切ったんだった。

マサさんに至っては、ナラボーのほとんどをヒッチしたという・・・。


暗くなってきたので、宿に泊まった方がいいと判断して、ノースマンまで200キロすこしのところの

バラドニアという町でドミトリーをみつけた。あとで夕食を一緒にとろうとジェームスと宿のレストランで

待ち合わせの約束をした。

荷物をばらして、考えた。このまま明日、ジェームスに乗っけてもらってノースマンに行って旅が終わる。

それでほんとにいいのか?


「みっともない走りはできないね」 そうオグちゃんのお墓の前でタカシくんに言われた言葉がずっと

引っかかってた。


あと200キロ。


決断して、ジェームスとの待ち合わせに向かった。

そして、明日ここから再び自転車でノースマンを目指すと告げた。


「本気か? この先ノースマンまで何もないぞ? わかってるのか?」 かなり怒っている様子。

今まで600キロくらい走ってきたこと、ブッシュも経験してることを言うと、

「それなら私はここで失礼するよ。あと2時間でノースマンだから、泊まるのもムダだからね」

せめてお礼に食事をごちそうさせてほしいというと、

「女性とはディナーをとらない主義なんだ」 と言い残し、宿をキャンセルしてノースマンへ向かった。


かなり悪いことをしてしまった。言えるだけのお礼は言ったけれど・・・。


ひとりで食事をとっていると、長距離バスの休憩タイムにあたったようで、乗客が晩ごはんをとりに

やってきた。その中にヒロシくんという佐賀の男の子がいた。

どうしてこう出逢うひとはみな「タカ」とか「ヒロ」とかばかりなんだろう。ややこしい(^^)


今日こんなことがあってね・・・、と話してみると、「大丈夫ですよ」 って笑った。

それよりも今まで自転車で旅してきたことの方がビックリするって言われた。

自分だったら旅を断念してヒッチするどころか自転車で旅をするそのことの方が凄すぎて、

どうしたらよかったのかとか考えつかないって(笑)

しばらくしてヒロシくんのバスを見送った。誰かに話せて少しは楽になった。


その時その時の選択に間違いという結果はきっとないんだと思う。

このときの自分自身への悔しさを忘れずに、また同じ場面に遭遇した時に諦めずにやり遂げることが

できたなら、その悔しさは昇華されてゆく。今頑張るための経験だったのだと、のちに思えたらいい。

そう思えるようにするためにも、これから頑張ればいい。

ジェームスの気持ちを害したと思うなら、その分自分がほかに困っている人を見つけた時に、

手をさしのべればいい。


そう思わないと、なんだか自分が保てないような気がした。


あとの残り200キロを、チャリダーとして走りきればいい。ヒッチで走った445キロ分、4日間猶予を

もらったと思って、天気が悪ければ、4日待てばいい。


このときのこころの葛藤は、今でも引っかかっている。

あの時走りきれていれば、どんなふうにこのチャリ旅を振り返れていただろう。

自分の弱さや、あきらめない強い気持ちを持てなかったことは決して恥じてはいないけれど・・・。

「姉さん、みっともないですよ」 ってオグちゃんがネタにして笑ってくれてたらいいなと、思う。


どうしてあの時はとにかく前へ前へって思ったんだろう。ゆっくり立ち止まってまた進めるときに

進めばよかったんだとあとから気付く。経験のなさからくる焦りだったのか。


上手くいかないときは誰にでも絶対やってくる。そのときはあえて逆らわずにやり過ごし、

進めるまで待つか・・・、周りの助けをありがたくうけとって力を借りて前へ進むか・・・。


どっちが正しいかなんて今も分からないし、今でも失敗ばかりしてるけど・・・(^^)



さて、ノースマンまではあと200キロ、走らないといけません。

そのことだけを考えて、前へ、前へ・・・。