昨年、国立認知行動療法センターの大野裕先生の研修に参加したとき、大野先生が、「万策が尽きるということはない」とおっしゃっていた。

何らかの手が打てるはずなのに、万策が尽きたと思い込んでしまう。

そのときの認知の働きで、目が見えなくなってしまっているのだ。


では、追い詰められたときどうすればいいのだろうか。


統帥綱領という本がある。旧日本陸軍の将官や参謀のための指導書であり、それに大橋武生氏が解説を加えたもので、読みやすく、示唆に富む。


この本のなかに、「手強い所に活路がある」と書かれている。


実例として、1600年、島津義弘の関ヶ原での戦いについて紹介している。

この戦いで、西軍は総崩れになり、島津軍ひとり、勝ち誇る的中に取り残されてしまった。

まさに絶体絶命のピンチである。

そのとき、島津義弘は「わが軍の周りで一番強敵はどれか?」と側近に尋ね、「最強は家康です」と聞くとその最強の家康の本陣めがけて突進した。

そして衝突直前にサッと右にそれ、伊勢街道を南に脱出し、鹿児島に帰ってしまったという。


解説者の大橋氏は次のように解説している。

「私は、気持ちの楽なときは弱点を狙い、追いつめられたときは一番手ごわく見える所に突撃すべきであると信じている。

追いつめられて万策つきたときには、度胸をすえて最強の敵に体当たりすれば、必ず活路が開ける。逃げ道をさがして右往左往していれば必ずつかまってしまう」


大橋氏は、手強いところを狙う事への心理的なメリットを強調している。

「苦境に陥ったときに一番必要なのは、事態の真相を見極める心の落ちつきである。

一番強いものに体当たりするのだと覚悟をきめてしまえば、気持ちが落ち着いて不思議に目がよく見えるようになり、弱点や隙がよくわかる。

そうなれば、島津義弘がそうしたように、「遠慮なくこれをつくべき」とも書いてある。


戦争でもこうであるのだから、やはり、大野先生の言うように生活の中で万策が尽きるということは、本当はないのかもしれない。


仕事とかでも、いくつものテーマがのしかかり、にっちもさっちも行かなくなる。混乱してしまう場合がある。

こんなときは、そのうちの最も重く、やっかいなものを特定し、それにに向き合うと道が開けるかもしれない。


メタファー:強いものには隙がある。追い詰められたときも策はある。ピンチはチャンス。

参考:「統帥綱領」大橋武生著 建帛社

新聞で、野生のニホンザルを集落から追い払う「モンキードッグ」についての記事を読んだ。


そのモンキードッグとして活躍する一匹の犬「ブチ」の人生は波乱に富んでいる。

記事からそのあらましを紹介すると。



山深い三重・奈良県境の里。

ブチは野良犬だった。

家畜の鶏を襲うなど、村人にとっては問題児だった。ただ警戒心が強く、機転が利き、素早いブチを保健所も捕まえることができない。

それは写真付きで回覧板が回るほどだったという。


ブチの転機は、そこに住む63歳の女性との出会い。

人を見ると素早く、逃げ出すブチが、その女性だけには寄っていった。

その女性はブチを家に連れて帰って飼うことにした。


ブチはそれでも人に慣れない。

今まで人から散々終われた経験がそうさせているのだ。

そんなとき、その女性はモンキードッグの取り組みを知る。

「訓練士に指導して貰うと少しはなつくかも」

その女性はモンキードッグの取り組みに応募する。


ブチは訓練の褒美となる餌を、人の手からは決して口にせず、訓練は困難を極める。

忍耐強い訓練が、ブチと訓練士との間で、続く。

毎日、一歩ずつ距離を縮め、半年後、ブチは人の愛情を信じる犬になった。


猿を追い払い、しかし命を奪ったり、傷つけたりすることのないよう共存への「使命」を託されたのがモンキードッグ。

ブチは訓練の末、その18頭の内の1頭に認定された。


ブチら18頭の出勤回数はこれまで、52回。

自治体によると、認定犬を買う集落には、猿が姿を見せなくなったと言う。



ブチの持つすばしっこさと機転がモンキードッグとして活かされているに違いないと思った。


ミルトン・エリクソンの逸話で、ジョーというならず者がある女性との出会いをきっかけに変わっていくという逸話がある。それを思い出さされた。


<メタファー>

転機

一つの出会いが人を変える

粘り強い訓練が行動を変える

やっかいものが役に立つ存在へ

強みを活かす


参考:日経新聞 12月4日「愛惜しまず、里の番犬」

「ミルトンエリクソンの心理療法セミナー」

出張先でテレビを見ていたら、俳優の三浦友和さんが出ていた。

山口百恵さんとの出会いや結婚、その後のことなどいろいろとお話しされていた。



百恵さんとの結婚については、やはり背負うものがあった。

結婚してだめになったとか、落ち目になったとか、そう言われたら、そうなったら、など考えたとのこと。

「顔にも出ていた」と話されていた。


「そんな顔の人には仕事を頼むはずはないんですよね」

「ある人に、ダメなときほどいい顔をしなさいと言われた」

三浦さんにとって苦しい時期だったに違いない。



何か吹っ切れる出来事はあったのだろうか。



三浦さんはそのきっかけが、「台風クラブ」という映画だったという。

相米慎二監督のこの映画は、三浦友和さん がそれまでの優等生ぶりを180度ひっくりかえす演技を披露し話題となった映画。


映画撮影のエピソードで、あるシーンで相米監督から、「振り向く様が三浦友和なんだよな」と言われという。



なにげない振り向きのシーン。

しかし、三浦さんはテレビのインタビューで、「そのことばでつきものが落ちたようだった」と言っていた。



そのシーンは取り直しになった。

新しい三浦友和が誕生した瞬間だったのかもしれない。



それ以来は、三浦友和さんは、硬軟いずれもこなせる俳優としての位置を確立した。日本アカデミー賞やブルーリボン賞などの賞も受賞している。



メタファー

「苦しさは成長のきっかけ」

「ひとことが人を救う」

「どんなときにもいろんなことが起こりえる」

「チャンスを活かす」



参考:NHK「朝イチ」11月25日