今日、僕の名札に「肯定屋さん」というラッテルが貼られていることを

ひそかに伺いました。

 

とんだ、サービス業をいつのまにやら開設していたようだ

 

「肯定屋さん」

この言葉を、トラ(悲劇:tragedy)な言葉と捉えるか、コメ(歓喜:comedy)な言葉と捉えるか。

 

僕は、断然トラと思うね。

 

この類の言葉は僕の胸を高くして、口角を上げさせる。

脳内では、お花畑が広がり、エンドルフィン(幸せホルモン)を分泌させる

 

これが何を意味するか。

僕は、この言葉に、支配される。

選択を迫られた際、判断材料となり姿を現す言葉となる。

 

そうして、この類の言葉は決まって

僕の人生に散々インフルエンサーとして振る舞った挙句に

居なくなるのは、とても簡単で唐突でカゲロウのごとく短命なのだ

 

 

僕は、「肯定屋さん」という言葉も

悲劇に見えて仕方ない。

 

だけど、今回こそは、

「うれしいありがとう」

という気持ちを純100%で満たして

受け取りたいのだ。

 

明日の自分の立ち振る舞いに悩み、

これからの日常生活を発表会であるかのように捉える暇があるなら

相手にステキなラッテルでも用意するべきなのではないかと思います。