言葉・SCHOOL校長先生のブログ 

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夏だけのビジネスは

大学3年生まで続いた


最終回は

呆気なく幕を閉じた


そう、破産してしまったのだ


直接の原因は二つ


●アルバイトで雇っていた大学生

  が売上金を持って逃亡


●伊豆七島を襲った大型台風が

  店の商品を全て空中に持って行ってしまった


だけど

本当の原因は



ーーーーー 僕のビジネスに対する姿勢だ ーーーーー




仕事をしていく将来の過程で

何が起こるかを

一つひとつ検証して

もしもの場合に備えると言う姿勢が

微塵もなかった


そもそも

動機が 行き当たりバッタリ

結果も 成り行きまかせ

予習も反省もなし

あるのは


健康な体と

何の根拠もない自信だけ


だから

この結末は


起こるべくして起きた

当然の結果だった


ALLサラ金からの借金約500万


二十歳そこそこで

当時の僕にとって

乗り越えるべく最大の壁が

立ちはだかった



今日も

ありがとうございました


続きは

また 明日





僕の奥さんは

とてもいい人だ


本人がしっかりしているし

何より

奥さんを育てた親が素晴らしい


そんな女性に育てられている

息子二人は本当に幸せ者だ


挨拶 約束 清潔 誠実 やさしさ 等々

人間として小さい頃から身に付けて置くべき

基本中の基本を

日々の生活の中でしっかり教えてくれている


心から感謝しています




だけど

二人の子供たちが

社会にデビューする時


果たして

今の家庭の教育

学校の教育で

本当に満足な準備期間といえるのだろうか?



男親として

僕自身が見本となる生き方が

できているわけではない


男親として

自信をもって進められる

稼ぎ方ができているわけでもない



自分の新しい方向への挑戦と

子供の教育を達成者としてではなくて

現役プレイヤーとして

同時に進行していくしかない



可愛くてしょうがない

自分の子供たちと接していて


このことを

強くかんじている



今日も

ありがとうございました


また 明日

僕が生まれて

今まで育ってきた

昭和 という時代


そして

2011年代


随分と世の中の様子が変化した


よく言われることだが

ルールが変わった


皆が便利さを追求するための

モノやサービスを生産する企業


日本の企業は

アメリカの真似をしながら成長した


日本の企業は

一生を捧げると誓える従業員を大事にした


日本の国は

絶対僕たちを守ってくれると

僕たちは疑わなかった


日本の企業も

絶対僕たちを守ってくれると

信じていた


ーーーーー 自己責任 ーーーーー


一生を通して

この マインドSETが

必要な時代になった


いつのまにか・・・



自分も含めて

大人も子供も

これからの時代

どうやって生きていくのだろう?


幸せは人それぞれだが

これからのステージの

生き方の MODEL みたいなものを

僕なりに造っていきたい

そして 共感できる人と

シェアーできたらいいなと

思っている




今日も

ありがとうございました


また 明日


















FROOM A  という媒体をご存知だろうか?


僕はこの媒体で人を雇ったことがある

もちろん事務所なんかないから

国分寺駅の喫茶店で面接した


採用条件は

○健康な事 というより 頑丈なこと

○かっこいい事 というより 爽やかなこと

○ひと夏だけ 親元を離れて暮らせること

○ベニヤの上でも寝れること


給料は

○一日 10,000円

○その日払い


その日払いにした理由は

面接にきた学生が

ほぼ全員ひと夏分の生活費の持ち合わせが

なかったからだ


10にくらい面接したのかな

その中で一人を採用した


理由は 感じが良かったから


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

友達ができない人がいる

就職の面接を指導する学校まである

履歴書の書き方まで教わる人がいる

幾つになっても親の元で暮らしている社会人がいる


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



女の子が彼氏を決めるのも

会社が社員を採用するのも

お客様が商品を買うのも

選挙でおっさんが当選するのも



みんな 気分で     決めているんだよ

みんな 好き嫌いで   決めているんだよ

みんな 外見で     決めているんだよ



爽やかさ   結構大事な要素だと 僕は思う




今日も ありがとう


また あした












家庭教師で

僕にとって 2回目の生徒を 3人

本人とその家族が希望の大学に進学させて

もちろん 高田の馬場 の日雇い人夫もやりながら


また、春が やってきた



例によって

浜川の親父に連絡すると


ーーー オイ お前 俺の友達が 隣の島にいるんだが ーーー

ーーー そいつも お前に 土地を貸してやってもいいぞって言ってるゾ ーーー


との返事



節操のない僕は

早速その二人目の島の地主に電話をした


条件は

神津島と一緒 総売り上げの10%

帳簿なんかつけていないから

完全な 口約束信頼関係 が基本



こうして

行き当たりばったり人生の僕は

起業2年目にして

2店舗のオーナーになる



ーーーーーーーーーーーーーー


見てると 何でも自分でこなそうとする人がいる

見てると 自分がすべての分野で一番になろうとする人がいる

見てると チームプレイをしたことがない人がいる

見てると それが原因で前に進めない人がいる


ーーーーーーーーーーーーーー



困ったときは誰かにお願いする


自分よりも優秀な人で周りを固める


自分は 運がイイ と勝手に決めつけて それに感謝する


お願いします   と   ありがとうございます


この二つの言葉だけで生きてみる





今日も ありがとう


また あした


おねがいします









  

皆さんは道路の歩道で

アクセサリーを売っている人を

見たことはありませんか?


あのスタイルって

もしかしたら

僕が初代に近いかもしれません



思い起こせば

当時の僕の周りで

あの商売をしている人はいませんでした


神津島から帰ってきて

破廉恥で、生産性のない 夜の生活は

前回の手紙で告白しました


そのとき 昼間は何をやっていたかと言うと

そう、この路上の歩道でモノを売っていました

島のお土産や √5 で売れ残った商品です


何となく 原宿 がイイナと決めて

表参道に 黒い布を敷いて

ロン毛の色黒の 武蔵引田 の山猿が一人

膝を抱えて 道行く OLさん達 相手に

アクセサリーを売っていました


こんな僕でも 

モノは大事にしていました


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

店舗がない        とか

資金が足りない      とか

経験したことがない   とか

友達が反対する     とか


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^


いろんな理由で

今すぐ行動できない人を見かけます



     まずはやってみる


特にまだ若い人は

このマインKEEPも

時には必要かなって思います


不思議なもので

自分が経験したことを誰かに語るとき

その時は 必ず人の心に響きます




今日もありがとう


また 明日




 








HOTELに居た

かなり有名なHOTELだ


島で商売をしていた時

僕の持ち物は ずた袋 一つ

そのバッグの底に

ひと夏で知り合った女の子たちの

連絡先が 走り書きでかかれたメモが

びっしり転がっていた


そのひとつひとつを拾いながら

このこって どんな娘(こ)だったっけかなー と思い出しながら

ベット脇の電話機からダイヤルをまわしていた


本当に

行き当たりばったりで

ものの弾みで

何の目的もない


そんな

 

ーーーー その先がない ーーーー


生き方をしていた



わざわざ都心まで出てきてくれた女の子達

今ではもう名前すら覚えていない

本当に申し訳なかった


お金はある

目的がない

興味は 女の子 だけ

全寮制の3年間の反動といえばそうなのだが・・・・


こうして何人かの女の子と

何の生産性もない一晩を過ごし

秋になる頃には

また無一文になっていた



そしてまた

来春までの家庭教師と

高田の馬場の公園のガードレールから始まる

日雇い人夫の生活が始まった


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

余計なお節介かもしれないけれど

この手紙を読んでくれている皆さん

特にまだ若い人は

よーく聞いて欲しい


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^


いったい自分が何処に行きたいのか?


行き先を決めて


今 歩いていますか?


もし、そうじゃなかったら

信頼できる人生の先輩にお願いして

いろんな話を聞いてください


回り道も面白いけど

やっぱ人生は

20代で決まるから


行き先を決めたって

いろいろあるから・・・・




今日もありがとう


又 明日




















こんな 僕のブログを読んで下さっていた読者の方々

そして

都立秋川高校・第11期生 同期の 原KEN


僕のブログを読んでいてくれてありがとう

君から

「オイ 最近更新してないぞ!」

と、Face Book で怒られました。


全員に公開  をクリックしても

反応しない期間があって

そんなチョットした障害で挫けていました

ゴメンナサイ


今日からまた コツコツ書きますんで

宜しくお願いします



ーーーーーーーーーー


神津島での僕の初めての商売は

最初の夏から 好START を切った


お盆が過ぎ

浜川の親爺に約束の土地代を支払い

OIOI なんかから借入れた借金を全て入金した後に

200万程残った


順調にいった原因を今になって振り返ると

あの商売が 当時の僕にフイットしていたのだと思う


○地元のお土産屋さんしか出店していなかった

○商品が当時の若い女性の現実にマッチしていた

○単なる軟派ではなくて必死に売る姿勢が信用を勝ち得た

○自分の彼女探しだけじゃなくて、店を媒体にして 

  男女紹介システム を導入した

○あの当時の僕はそこそこイケてた

○お土産屋のお兄さんが 実は国立大学生 というギャップが

  安心感を醸し出していた

○海 おみやげ 出会い この3セットをみんな探していた


島を去る東海汽船の船の中で

財布も持たず ジーンズの後ろポケットに

しわくちゃになった 万札の束を押し込んだ僕は

東京に帰ってから

どうやって過ごそうかと一人考えていた


折角 儲かったお金

初めて手にした 7桁 の現金


たった 2週間で 使い果たしてしまうとは・・・



ーーーーーーーーーーーー


今日も読んで頂いて ありがとうございます


続きは また 明日











おみやげ屋に決めた


新宿 原宿 六本木 御茶ノ水 ・・・

いろんな問屋を回って

お手頃なアクセサリーを買い漁った


軍資金が底を尽きると

OIOI(丸井 丸井)のカードで穴埋めした


ブレスレット アングレット ネックレス バンダナ

Tシャツはオリジナルのデザイン物にした


準備に追われていると

1っ箇月は アッという間に過ぎた


荷物だけ先に島に送り

浜川のオジさん家で預かってもらうことにした


もし 売れなかったらどうしよう?


こんな不安が全くなかったのは

どうしてだろう?


単に無鉄砲だったから

バカだったから

世間を知らなかったから


今になってみれば

もう真実はわからないが


去年 ひと夏を過ごして

地元のおみやげ屋さんとは

全員友達になっていた


そして 品揃えのセンスの無さ を

僕は感じていた


若い女の子が欲しがりそうな品物は

どこのお店にも全くなかった


きっと そんな 事実が自信を

掻き立てたのだと思う


ブリキ屋根だが 店も出来たし

初荷も送った


僕のイメージはどんどん膨らんでいく


僕は初めて仕事に対して

ワクワクする気持ちを感じることが出来た


今日も

読んで頂いて

ありがとうございました


続きは また 明日






















 


<√5>   ルート5(ファイブ) という名前のお店を開業した


場所は神津島

土地は浜川さんに借りた


えっちらほっちら 土地の雑草を取ったり

海岸から 流木を運んだり

店の看板を ペイントしたり

いろいろ一人でやっていると

島のひとが集まってきた


「おい お前 何やってんだ?」

「ここは 浜川のじっちゃんの土地だぞ!」

「どこのもんだ? おまえは・・・・」


最初は怒られたり

怪しまられたり

胸をつつかれたりしたが


僕のお店の準備は進んでいった


これといって話題がない島で

僕は格好の話のネタになっていたのだろう


漁師さん達が 漁の合間を縫って

手助けしてくれた


なかには電気屋さんもいた

大工さんもいた


酒を飲む仲になると

一層仲良くなっていった


電気もひけた僕のお店は

こうして出来上がった


拾ってきた4本の柱と

ブリキのトタン屋根

電信柱からの延長コードで灯った裸電球

そして 手作りの 看板


僕は満足だった

そして 島の皆に感謝した


だけど そこで 何を売るのか

まだ決めていなかった


夏本番まであと一箇月

再び僕は東京に帰った


続く・・・