今年1月、小5の娘は、私が勤務先から借りてきた今西祐行氏の短編集の音読に取り組みました。この短編集には『ヒロシマの歌』、『一つの花』等が収められています。『ヒロシマの歌』は、広島から30kmほどの呉で陸戦隊の訓練を受けていた水兵だった「わたし」が原爆投下の日の夜に広島に行って目や耳にした惨状とその後の人々の復興への歩みを克明に記した秀作です。娘の音読を聞きながら、7月に一時帰国したら娘と広島を旅しようと考えていました。


一時帰国してJRの最寄り駅で見つけたのが日帰りプランのパンフレット「ひろしま夏物語」でした。このプランは、新大阪・広島間の指定席往復新幹線(米原や京都等から新大阪までは特急はるかの指定席往復)の他、JR自由周遊区間(広島・宮島・呉エリアまたは三原・尾道・鞆の浦エリア)、食事(昼食または昼食と夕食の両方)、お店での割り引き、そして温泉への入浴やもみじ饅頭(いずれも無料)なども付いています(大人一人10,700円~16,500円)。


鞆の浦は、宮崎駿氏の『千と千尋の神隠し』の舞台なので、娘に実際の場所を見せてやりたいな、とちらっと思いました。でも、娘が今西祐行氏の短編集を音読し、私自身が中3の修学旅行で訪れた広島平和記念公園と宮島をじっくり訪れてみたくなったので、広島・宮島・呉エリアを選択しました。


当日は、まず始発の在来線で新大阪へ、そして新大阪からも始発の新幹線で広島に向かい、朝8時半すぎには広島平和記念公園に着きました。動員学徒慰霊塔(全国の学徒動員数三百数十万人中、戦禍にたおれた者1万有余人、そのうち原爆死した6000人を慰霊)、国立広島原爆死没者追悼平和記念館(爆心地から半径2km以内の被爆当時の広島の全景写真と地名を掲げた追悼空間、原爆で死没した方々のご氏名とご遺影を掲げた遺影コーナー、体験記を音声と映像で知る情報展示コーナー)、広島平和記念資料館を訪れました。原爆死没者追悼平和記念館では、意外とにこやかな表情のご遺影をいくつか拝見しました。よもや原爆で死没するとは夢にも思わず、厳しい戦時体制下でも、今の私たちのように家族や近隣と日常生活を送り、いつか平和が来るのを心密かに待ち望んでおられたのに違いない、と気付きました。また、米兵の遺影も目にしました。


広島平和記念資料館では、じっくりと解説文を読んでいきました。中3の時は、大勢で訪れ、限られた時間内に見学し終えないといけなかったため、解説文を読む余裕がなく、展示だけを見てとにかく原爆症への恐怖感だけが脳裏に焼きついたという有様でした。大人になると、なぜドイツではなく日本だったのか、なぜ広島が選ばれたのかへと視点が変わりました。イギリスとアメリカの話し合いの結果、原爆を日本に投下すれば第二次世界大戦の終焉が早まる、特にアメリカでは、一気に第二次世界大戦を終焉させれば、原爆の開発に相当な国費を使用したのも国民が納得するから、とのことでした。また、当時、広島には米兵の戦争捕虜施設がない、とアメリカでは信じられていたため、広島が選ばれたということです。でも、日本人、日本に強制連行された中国・朝鮮人の他に、原爆死没者追悼平和記念館に遺影があったように、実際には、米兵も何人かは犠牲になったのです。


 この後、宮島に渡り、高級ホテルいつくしまで昼食と海を眺めながら温泉(プランで無料)、厳島神社見学、やまだ屋で手焼きもみじ饅頭体験(プランで割引、予約推奨、おみやげつき)、津田清風堂でかき氷(最高10種類の氷みつを自分で選んでかけられる)を楽しみ、民芸品店やまとで雨が降ると無地に花模様が浮き出る傘をおみやげに買い、広島駅の福ちゃんで広島風お好み焼き(クーポンで無料)をおいしく食べながら、平和のありがたさを実感し、恒久の平和を願いました。