また一つ新しい経験が出来た。
昨日コンテンポラリーダンサーの横田恵さんと出演した「ダンス リンク リング」
始めはダンサーの横で影武者のような形でチェロを弾くだけのつもりだったけど
リハーサルを重ねて行くうちにチェロという楽器も含め
演奏者である自分も作品の一部として溶け込んでいった。
勿論自分が踊る訳ではないけど
ある種のパフォーマンスを伴うその公演は
何か新しい扉が開かれたような気分だった。
始めは所作一つ一つが照れ臭く
自信が持てずにいたけど
最後には横田さんとのやり取りを楽しんでいた。笑
自分などはやはり一つ一つの動きにある種の枠を描いて
これはこうだから、という意味がないと動けないと思い込んでいたのだけれど
横田さんが動きそのものに既に意味があって
そこに必ずしも状況的な根拠が必要ではない場合もある
という事を言っていて凄く興味深かった。
それは音楽においても
そこに言語化出来るような
例えば思想的に明確な意味がなくても
美しいハーモニーに
素敵なメロディーに
イカしたリズムに
心動かされる場合があることと似ている。
自分も含め、人は理解出来ないものに出会うと
理解するためにすぐに頭の中で言語化しようとする。
言語化は自分の経験と知識の中の材料でしか出来ないから
それを超えたものに出会うと理解不能だと感じてしまう。
しかし存在意義というのは様々だ。
一つの理解の仕方で収まりきるわけがない。
今回コンテンポラリーダンスに触れて
そんな事を実感した。
そして
そういう視点で他の人たちのパフォーマンスを観た時
とても面白かったし
特に出演者の中の
アオキ裕キと新人Hソケリッサというグループのパフォーマンスは本当に感動した。
何故かは分からないけど
でも確実に伝わって
そして確実に心が震えた。
きっと
表現などは氷山の一角で
そこに至るまでの生活も含めた
あらゆることがその人の根拠であり
そういう信念の元に発せられたものは
どんなジャンルのものでも
理解を超えて伝わって来るのだ。
この事実は音楽家の端くれである自分にとっても大変勇気づけらた。
今回沢山の事を感じ
またそれについて考えを巡らせていた。