前回の続きです。
前回は、「読書感想文」が夏休みの宿題になるのに、それ以前に、
どれだけの「書く指導」が実践されているか?
という疑問について触れました。
さらにいえば、
「書く」=アウトプットするためには、
相当量の語彙のインプット=「読む」時間の確保が前提とされなければなりません。
なぜなら、
「読む」ことからでなければ不可能な「文章表現に必要な語彙」の獲得が求められるからです。
「文章表現に必要な語彙」とは、わかりやすくいえば「文章語」です。
「文章語」とは、日常会話ではあまり見られない語彙や語句のことで、日常、会話を中心に使用しているそれらは、「口頭語」といいます。
たとえば、「楽しい」「よかった」などの語。
肯定的感情表現として、子どもたちが日常もっとも口にする語です。
読書感想文を書かせても、
「王さまたまごをわって、うさぎがでてきたところが楽しかったです」
「マルコがお母さんと会えてよかったです」
という文は、ほとんどの子どもが書くことができます。
よく、作文への抵抗を払拭する、もしくは、ハードルを下げるために「しゃべるように書け」
という実践方法が言われます。
しかし、子どもたちの作文を読んだときに、
とても幼稚で、しまりがなく、だらだらとした文章になってしまうのは、
彼らの言語発達段階において、
「口頭語」と「文章語」の使い分けができないからであり、
「しゃべるように」書いても、
読み手への印象が高まる、上手な文章になるわけがありません。
上述の
「楽しい」を「わくわくする」「快い」
「愉快だ」「痛快だ」「心がはずむ」「胸が躍る」「よかった」を
「安心した」「安堵した」「満足した」
「申し分なかった」「よろこばしかった」「ほほえましかった」
などの、子どもたちがふだんは使わないような表現に変えるとどうでしょう?
小生意気な感じもしますが(笑)、
読み手への訴求力はぐんと高まるはずです。
「読書」量に比例して文章語の引出しは増えるという事実が無視され、特に低学年のうちは、文章から獲得した語彙量が非常に乏しいにもかかわらず、しかも、文章作法の指導が十分に実践されぬまま、ちゃんとした文章を書けという、心理的な体罰状態で感想文は書かされているということなのです。
(つづく)