・ 私はもう若くはない。私は誰も待ってはいない。私はただボン
ヤリと眼をつぶって、半ばめざめ半ば眠ったような虚脱の中で、
過去の時間が砂のようにさらさらと音を立てゝ私から降り零れる
音を聞いている。過ぎ去った時間がもう一度、私の記憶の中で
ある時は早くある時はゆるやかに、さらさらと降り零れて行く
のを……。
・ 今日の愉しさも明日の悦びも、それがある事は知っています。
ただそれがじきに醒め、あとに苦い滓(オリ)を残す筈だという事も
いまからもう分っているのです。
・ 少年の日に夢見た生きるという事は、現在のようなこんな惨め
な状態を指す筈ではなかった。生きるという言葉の中には一身
賭けて悔いのないような、喜びや悲しみが彫り込まれている筈
だった。それなのに今、生きることは一日一日の消耗にすぎな
かった。
・ 意識の領域が狭いから、いつでもそこへ戻っていってしまう
のだ。
・ あなたの心にきざしたと私が信じた愛情……私は我が身を他人
の中にうつしていたのだ。
・ この真昼の物音。平和なる物のひびきは街より来る。
・職業をもつのは生活のためにすぎない。犬の首輪だ。いくら
まじめに働いてもブルジョアになれる訳ではない。課長程度が
人生の終点だと考えていた。そのことに不平はない。
・ 青春は失策、壮年は苦闘、老年は悔恨。
・ 朝に紅顔ありて世路に誇れども、暮れには白骨となりて郊原
に朽つ。
・ 怒りは常に愚行に始まり、悔恨に終わる。
・ みんな自分自分の場所で、自分にだけ住み心地のいい穴を
作って、その穴の中で自分だけの考えに耽り、自分勝手な行動
を楽しんでいる。そういうものであるらしい。
・ 人生 二つの”永遠”の間のわずかな一閃
・ 人生に於いて多くの苦痛をまぬかれる最上の方法は、自己の
利善を非常に少なく念頭におくことである。
・ 人は軽蔑されたと感じたとき 最もよく怒る。だから自信のある
者は余り怒らない。
・ 夢だ。遠く過ぎ来し方を思うとき、使い古されたこの言葉以外に
心に浮かぶものはない。
足 羽 川 ( 室生犀星 )
あひ逢わずよとせとなり
あすは川みどりこよなく濃ゆし
をさなかりし桜ものびあがり
うれしやわが手にそひきたる
わがそのかみにふみもみし
この土手の芝とうすみどり
いま冬枯れはてゝ いろ哀しかり
われながき旅よりかへり
いま足羽川のほとりに立つことの
何ぞやおろかにも涙ぐまるは
・ やりたいことはいろいろあるが、どうせ駄目だと思って初めから
あきらめている。自分の穴から出ることの危険を恐れて、結局
何もできないでいるのではないか。人生の冒険を一度もやって
みたことはないのだ。
・ 人間はたったひとりで自信を守り通せるものではない。我々には
自分の力の証人が必要なのだ。
・ 過去は取り返しがつかない。それだけに僕等は現在を充足的に
生きなければならない。それには勇気と選択が必要だ。僕等は
未来に向かって生きる。未来は偶然ではない。未来はある程度
まで現在を生きるときの勇気と、事に当たっての正しい選択との
よって決定される。
山里の春の夕暮れ 来て見れば
いりあひのかねに 花ぞ散りける ( 能因法師 )
憂きことを 海月(クラゲ)に語る 海鼠(ナマコ)かな
( 黒柳召波 )
友がみな われよりえらく見ゆる日よ
花を買い来て 妻と親しむ ( 石川啄木 )