・ 深い秋の静かな晩だった。沼の上を雁が啼いて通る。 ( 志賀直哉「好人物の夫婦」 )
・ 松の根方に老人が書を見ている間に、僕と愛子は丘の頂の岩に腰をかけて夕日を見送ったことも 幾度だろう。 ( 国木田独歩 )
・ 私はその頃太陽というものに生命を感じていた。私は降りそそぐ日差しの中に無数に光り輝やく泡、エーテルの波を見ることができた。私は青空と光を眺めるだけでもう幸福だった。麦畑を渡る風と
光の香気の中で至高の歓喜を感じていた。雨の日には雨の一粒一粒にも、 嵐の日には狂い叫ぶその音の中にも、私は懐かしい命を見つめることができた。樹々の葉にも鳥にも虫にも、そしてあの流れる雲にも 私は常に私の心と語り合う親しい生命を感じ続けていた。
・ 酒を呑まねばならぬ何の理由もなかったので、私は酒を好まなかった。
・ 道子さんには生きていこう、愉しく生きていこうとする鋭い意志があった。
・ 今日、僕らは青春の場景の中を旅人の如く通り過ぎてゆくであろう。
こは我らが思い出の家なり
再来の日ありやなしや
よしあるにしても
過ぎし日は永久に帰らじ
この道を泣きつつ我の行きしこと
わが忘れなば誰か知るらむ
・ 私の運命は私自身の選び取ったものでございますが、その運命の持つ意味はおそらく神のほかに誰一人知るものとてないのでございましょう。 ( 福永武彦「草の花」 )
・ 頂からは樹々の間を通して近くの麦畑とそれを縁取りした森と森の間の農家の屋根などが見えた。麦は青々と伸び土は黒く、雑木林の中に新芽が芽吹いていた。 ( 同 )
・ 平和なそして限りなく静かな風景、都会の雑踏からただ幾時間を離れさえすれば、ここでは静寂は泉のように胸の中に溢れてくる想いであった。 ( 同 )
・そこの石の上に腰を下ろして苔の蒸した石仏の像などを眺めていると、昔この道を華やかに通行したでもあろう大名行列のざわめきが心象に鮮やかに浮かんでくるのだ。徒歩の旅人はこの別去れで遙かに来た江戸の遠さを想い起こしたでもあろう。旅に病み旅に死んで骨を埋めた者もいよう。
そして時間は絶えず流れ、浅間の煙は何事もなく麓の村に灰を降らせていたのだ。草の花は咲き、草の実はこぼれ、そして旅人は煙のような感傷を心に感じていたでもあろう。 ( 同 )
・ マレーネ・ディートリッヒの歌うリリーマルレーンの歌詞の中に次のような一節があったように思うが定かではない。
「 何が望みかと聞かれたら
やっぱりお金が欲しいけど~ 」
これを聞いたときに”本当にそうだよなぁ”と妙に得心がいく思いがしたものだ。
・ 同じくうろ覚えの歌
「 柳の根方で泣いたとさ
ツバメがのぞいて言ったとさ
あきらめしゃんせと五月雨が
濡れたまつげに落ちたとさ 」 )
何をおっしゃるウサギさん
・ 昨日・今日・明日 過ぎし日の還らざる思い出や 別れし人のまた会うこともなき。
・ 初秋の日脚はうそ寒く、遠い国の方へ傾いて、淋しい山里の空気が心細い夕暮れを促す中にかあんかあんと鐵を打つ音がする。 ( 夏目漱石 「二百十日」 )
・ 私はここでよく涙を流しました。しかし決して笑ったことはありませんでした。
・ 何も今更樽底のおりをかきたてなどしなくても、この酒はもう
十分苦いのだ。
・ 兄さんは黙ってエスの墓を掘りました。けれどノンちゃんは知っています。兄さんがどんなに悲しかったかを。兄さんは倖せだった自分の子供時代の半分をその墓に葬ったのです。 ( 石井桃子 「ノンちゃん雲に乗る」 )
おろかしく ( 北原白秋 )
おろかしく涙流せば
おもしろと手うちはやしぬ
堪えかぬるふきといきは
人知らず見て過ぎにけり
・ 一事考え終わらざれば他事に移らず。一書読了せざれば他書
をとらず。 ( 西田幾太郞 )
・ 日出でて作し、日入りて息ふ(イコウ)。井を鑿して(センシテ)飲み、
田を耕して食ふ。
都大路は我に衣なく 馬に草なし
帰らざらめや 山にて老いまし
・ しかし我々はお互いによかれあしかれ生きるための小さな信条
をもっています。 私にも非常に貧しいものですがそれはありま
す。
・ あきらめよわが心 けものの眠りを眠れかし
・ 幸(サチ)あれよ やさしき恋を得よ
・ 影は妹の如くやさしく 倖せが私と肩を並べて歩いた。
歓楽極まりて哀情多し 少壮幾時ぞお老ゆるをいかんせん
( 漢 武帝 )
・ 木や畑があって、どこか近くに水の流れが見え、水音が聞こえる
ような所で暮らしたい。
・ どんな人でも、ものの全貌を見ることはできない。昔から云われ
ているように、我々は自分の見たいと思うものだけを見るのだ。
画家は色彩を考え、農民は作物のことを考える。
降る雪や 明治は遠く なりにけり ( 中村草田男 )
遠山に 日の当たりたる 枯野かな ( 高浜虚子 )
筆採る我に ひそと炭つぐ 母哀し ( 荻原井泉水 )
高嶺星(タカネボシ) 蚕(カイコ)の村は 寝しづまり
( 水原秋桜子 )