血尿です。


よく出るんですよ、血尿。



疲れてきたり、寝不足が続いたり、深爪したり河原でつまづいて捻挫したり狩っていたカブトムシに逃げられたり、まぁそんなときは決まって血尿なわけです。



今朝横浜駅のトイレで用を足しながら「おぉ、なんか赤い便器って斬新だなぁ!!」と思っていたら血尿でした。笑


いや、笑えないです。毎回毎回。



ということで、とりあえず今入っている鑑定の予約を終わらせて、短い休みを頂きますよぅ。


夏休み、ってことでよろしくお願いします。



来月の予約がちょっと乏しいこともあって、これを期にシロギス釣りにでも行って参ります。


ひゃっほい!!


あぁもうなんてテンションなんでしょう。


腰をおかしくしてから、まともに働けない上にこう、いろいろと生活面でも制限が出てしまいまして・・・しばらく趣味の自転車も魚釣りも、ずぅぅぅっと封印しています。泣


というわけで、久々、ぼくの相棒タロットカードの紹介を。



今日のカードは・・・


【女帝】です。(すみません、PCの関係で画像がアップできないのです・・・)



鑑定する内容によっては、このカードの指し示す事柄はとても広いように思えます。


ひとつ言えるのは、恋愛にしろ生活にしろ、もうすぐ実りの有る結果が出ることを指し示すことが多いです。


例えば病気で悩んでる人には、「もうすぐ病状が回復して、元通りになるよ」とメッセージを投げかけていたり。



女帝のカードが象徴するもの。


それは平たく言えば、「人生においての実り、収穫」といったところです。



もうすぐ努力が結ばれる。


そして人生のいちばん華やかな部分に触れることができる。



努力が結ばれるには、願いが叶うまで努力し続けることが重要なんです。


ちょっとばかみたいな言い方だけど。



【女帝】のカードはあなたにこう伝えます。


「あなたの力を、努力を、形にして見せましょう。そしてしばしの休息と安堵があなたに訪れることを約束しましょう。」


まるで母親や恋人に抱きしめられるような、これ以上にない幸せ。


女帝のカードは、そんな女性が放つ優しさや幸福感を象徴しているのかもしれませんね。

人知を超えるもの。


占いをしていると、いつかはこういうものと向き合わなくてはいけないのでしょう。



カードが伝えるときもあるし、鑑定の依頼を受けたその瞬間に、「あぁ、これはただ事ではないなぁ」と思うこともあります。


人知を超える何か。


実際にあるんだと思います。


僕自身、基本的に幽霊や妖怪の類はまるっきり信じてないです。

信じていない、というよりは、どちらでもいい、かな。


生命が反映している以上は、この世で一番エネルギーを持って活動できるのは「命」そのものですから。


ただ、「霊魂」が作用することはあると思います。


かつて命を全うしたものたちが蓄えたエネルギー。それが身体を離れてエネルギーそのものを体現している姿。


それが霊魂でしょうか。



詳しいことは省きますが、僕たちの感性にこだましていろいろな縁を作ってくれる存在でもあります。



厄介なことに、かれらの世界で言うところのエネルギーそのものには「悪意」や「善意」といった概念がないのです。

いわば、燃料のようなもの。


僕たちが手段を間違えれば自らが火傷することだってありえます。


霊魂がいろいろなヒントや縁を引き寄せてくれる存在であることは間違いないようです。ただ、そこで僕たちが慎重に向き合わなくてはいけないのが、自分自身の在り方。


たった一つの縁から、どこまで先の自分を想像できるか。


自分自身がどれくらい、相手に作用するのか。


そこまでくると、やはり大事なのは自分の魂といかに向き合えるか、ということなんだと思います。



占い師の仕事を始めるまでは、僕もそういった人知を超える何か、をないがしろにしていました。

いや、いまだってきっと理解はできてないんだと思います。


なんとなく、そういったものたちと共存できたら素敵だなぁ、と思っているだけなのかもしれません。



ただ、宗教や思想にのめりこむことなく、あくまでニュートラルな心持で自分の魂と向き合うきっかけになったことは事実です。



みなさんも、ちょっと心に余裕があるときに、少しの間目を閉じて思ってみてください。


僕たちの生命活動とはまるで違う次元、違う価値観で存在するであろう素敵な「何か」を。

はいはい、Hendrixです。


あ、お久しぶりですどうもどうも。


ということで、ようやくまともなPCが家に来ました。実家からそ知らぬ顔で持ってきたのですけれども・・・


ごめんよ、姉ぇちゃん!!



相変わらずカードと戯れる日々が続いております。


最近はカバラと合せて、という依頼もぼちぼち多くなってきているので、こちらとしてもいっそう気合が入っているわけであります。


以下、最近思っていることをあれこれと。


先日、「人生は修行だ」と断言する方に会いました。とてもまっすぐに、ストイックに自分の人生と向き合っている感じがしました。


でもね、ぼくはちょっと違う考えを持っているんです。


人生ってのはもっともっとシンプルで、行き当たりばったりなイベントの集大成なのではないか、と思うんです。


思いのほか賑やかで、明るくて、まるで鼻歌を大勢で合唱しているような、そんな感じ。


鼻歌を合唱、ってなんか考えると笑いがこみ上げてしまうんですけれど、いやぁ、なんかそれくらいの力の入り具合でいいんじゃないかなぁ。



ぼくが鑑定を行うとき、一番最初に依頼者に投げかけることがあります。


「力を抜くために、どこまで努力できるか」なぁんて、馬鹿みたいなテーマのお話です。


ぼく自身、やっぱりそこら辺はどうしても凝り固まっちゃってる部分があるんで、ごくたまに自分のアタマの硬さや足りなさにくたびれてしまうことがあります。


なので、そういうバカバカしいことまじめな顔で依頼者の方と話しているときが、いまのぼくの一番の癒しになっているのです。



無駄な力を全力で振りほどいて。


なんだかへんな言葉になっているけれど、いまはそれがぼくの一番の願いであり、理想であるのです。

パソコンが壊れてしまいました。


自分の音楽活動のデータとか、占いのデータとか、全部ご臨終です・・・汗


で、実家の押入れで眠っていた10年前のPCを拝借して、今このブログを書いています。


Meですよ。Me。


XPでさえいっぱいっぱいだったのに、Meだなんて・・・

なんだか携帯でこなすほうが楽な気がしてきました。笑



ということで、当面写真のアップとかもソフトがないもんで出来ないと思います。あぁ。



頑張って書きますね。うぅ、負けない。



このところ案件がちょっと多く、Hendrixは少ぉしだけ疲れておりますので、今日はこの辺で。


でわでわ。

ここのところ、肝心のタロットについての話が余りありませんねぇ・・・


自分自身、とある理由から少しカードをめくるのを控えてはいるんですが。



今日も全然違う話になります。笑



最近なんとなく思うことについて、です。


誰かと話をしているときに、その人の言葉の端々をかいつまんで、その人の本質を判ってしまったような気になることがあります。


でも、後々その人の裏腹な、ダークサイドな部分を見てガッカリしてしまう事ってありませんか?


僕も幾度と無く、そういった経験を繰り返してきました。



でもある日、ちょっと面白い事に気が付いたんです。


「会話」と「対話」の違いについて。


人間が言語を持っている以上、誰かと対峙するときにはまず言葉を使います。

それにリズムを持たせてキャッチボールするのが、会話。


一方、相手の間合や、息遣い、瞳の光、天候や時間、そういったものを全て加味して、相手を知ろうとする事、それが対話。


言葉ありきの「会話」と、想像力ありきの「対話」


何も言わなければ伝わらない事も多いけれど、話したからといって伝わるわけでもない。理解できるわけでもない。


たぶんそれは、「会話」と「対話」のバランスの問題だと思うんです。



どちらが強くてもいけないし、どちらが欠けててもいけない。



こう書くととても難しい問題のように思えるかもしれないけれど、僕自身はとてもシンプルで恐ろしく簡単な事だと思っています。


ニュートラルになること、なんだと思います。


目の前にいる相手(人間だけに限った事ではないです)に対して、疑わず、期待せず、強要しない。


共感できる部分、わくわくするような部分ににひたすら踏み込んでいって、触れ合う。



そういうことなんだと思います。



僕が依頼者の方とお話をさせていただくときは、あくまで自分をニュートラルな位置に落ち着かせることでやりとりが始まります。


そして「対話」に重きを置きつつ、「会話」のリズムを刻み続ける、という、音楽で言うところのいわば「セッション」といったところでしょうか。


サウンドや音量(対話)も大事だけど、カッコいいフレーズや気持ちのいいリズム(会話)も欲しいよね、なぁんて。


ただ、やっぱり押並べていえることは、それでも多くの人たちが「対話」に対する意識が圧倒的に少ないということ。



自分以外のモノはもちろんのこと、自分自身とさえも対話することを拒んでいるように見受けられるのです。



「対話」で得た答えやヒントを、「会話」で表現し、広げていく。


そういうシンプルな構造をもっと信じることで、人生は遥かに豊かなものになるのではないのでしょうか。


僕は、そう思います。


実家に帰ると、母親と必ず腰痛の話で盛り上がります。笑


まだ30歳なのになぁ・・・。



そうそう、気圧が下がるとなぜ腰や間節が痛むのか。

興味深い事を聞きました。


生き物の体というのは不思議なもので、外界の気圧と体内の圧を常に均一に保つように出来ているらしいのです。


だから外界の気圧が変わると、体内にも圧の変化が起こるらしく、そのために神経が圧迫されたり開放されたりして・・・あぁ、どうりで痛むわけです。


腰痛の話で記事が終わってしまうのもなんだか悲しいので、別の話を。



最近、苦手なホロスコープをなんとか駆使して今後の人生の成り行きを大まかに見たりしてます。


自分のもモチロン見ますし、要望があれば依頼者の方のホロスコープを出したりもします。


で、ちょっと面白い事に気が付いたんです。


僕と同じくらいの世代の方に(僕自身も含め)、どうやら世の中の節目に立つ宿命をよくよく見かけます。


僕自身は占星術が不得手な部分もあるので、突っ込んだ話はよく分からないのですが・・・


どうやら世の中はここ数年の間に、大きな流れの変化を迎えるようですね。



もしかすると、なにか物事の価値が一気に覆されるような事が起こるかもしれません。


その出来事が良いか悪いかは、あくまで各々の心の持ちようにもよると思いますが、僕の考えで言わせて貰うならば、それは今の世の中にとってとても重要で、真摯に受け取り迎えるべきことだと思います。



「そんな気がする」的な内容でスミマセン・・・ただ、ここで大事な事にふと気が付けた事も事実です。


要は、いつだって僕たちは「明日、何か大事な事が覆ってしまうかも知れないんだ」という覚悟を持って生きなければいけないのだなぁ、と。


なんというか、それが「今を生きる」ということに直接繋がってくるのでは、と思います。



人間は常日頃、日常に「平均」なんてものを望んでしまいます。


やもすると、その平均から外れた事に対して恐れおののいたり、その出来事のなかに吉凶を見出そうとしたり。


あくまで物語を進めるのは、本来は人間個人の問題なんです。


もちろん、生きていれば逆らいようの無い、宿命的な流れを経験する事もあるでしょう。ただ、そこに辿り着くまでの流れ出さえ、人間個人の力でいかようにも変えられる、と、僕は思います。カードもそう伝えています。



小説を読んでいて、ページをめくってもめくっても、変わらないことが書いてあったらつまらないでしょう?


次のページをいかにわくわくしてめくるのか。


それが人生だと思うのです。ときには読んでいる人間が、物語を書き足してしまう事だって許されるのです。

自分の描く物語のほうが面白い、と思えたなら。



一部の人たちが、なにやら「アセンション」などという言葉に振り回されているようです。


2012年に、大きな破壊があるらしい、そしてその再生によって人間は救われるらしい、みたいな内容でしょうか。


確かに、僕たちが近々大きな流れを経験する可能性は高いかもしれません。


だけどやっぱり、人間が本当の救いを手に入れるためには、各々の確かな哲学こそが必要なんです。



ちなみにみなさん、安心してください。


たとえ近々大きな変化があろうとも、それは「アセンション」や「時元が変化する」などという稚拙な内容ではないです。それだけは言えます。


もっとこう、人間の心に直接訴えかけてくるような、そして僕たちがそれを確かな行動や哲学で解決しなくてはならないような、言ってみれば極めて「シンプル」な出来事なのです。



それぞれが世の中の舵取りを担っていく、まさに今、そういう時代に変化しているのかも知れないですね。


言の葉


千葉の某所で潮干狩りをしてきました。


ここは割りと穴場のようで、GWにも関わらずそんなに混雑していなかったです。



数日前に思い立って、¥100ショップで熊手を購入。


何にも調べないで行き当たりばったりで現地に出向きました。



海風に当たると、心がスッキリしますね。少しだけ、正しいリズムを思い出せるというか。


小魚の群れや、ヤドカリの食事風景、干潟の貝がゆっくりと砂に潜っていく様子なんかを見ていると、自分という生命体の謎も少しだけ解けた気になるのです。


先日患ったヘルニアを気にしつつ、2時間程度ですがなんとか楽しめました。


大好物のアオヤギも採れたし!!



潮が動き始めるときの、あのザワザワした感じが大好きなんです。


生命の秘密の営みを、少しだけ見せてあげるよ、と海が言っているようです。


潮が満ち引きをしている時間が大体2時間くらいでしょうか。


その間、魚やそのほかの海の生物たちが、ここぞとばかりに活発に動き始めます。


魚たちはこの潮の流れに合わせて、捕食活動を始めることも多いです。月夜の晩には、ゴカイ類が産卵のために元気に泳ぎながら、海面いっぱいを埋め尽くすこともあります。



生命は、大きなリズムの中で生きている。


僕たち人間も然り、です。


正しいリズムの中にすっぽりと収まる事ができれば、必要最小限の動きをするだけで答えが見えてくることでしょう。



僕たちが今一度目を向けるべきものは、かつて僕らの祖先が当たり前に共存していたであろう、自然のエネルギー。その息吹。


そういう存在に包まれると、一瞬自分自身の「個」の部分がどうでも良くなってしまうこともあるんですけどね。


それもそれでとっても気持ちがいいものです。



僕にとって、神様とは「自然そのもの」なのです。


手を合わせて拝むものでもなければ、集団で教義を分かち合うものでもない。


ただただ感謝をし、ともに在り続けるだけのものです。


それが僕の神様。



こちらが触れようとさえすれば、いくらでも心を開いてくれる。ヒントをくれる。


それが僕にとっての「神」であり、「自然」であるのです。



近年、「癒し」という言葉を多く見かける気がします。

メディアがいっせいに取り上げ始めたのもありますが、たとえば「癒し系アイドル」ですとか「癒しのアロマ」ですとか。


占いに関しても、そういった表現が引き合いに出される事もありますよね。


僕ね、思うんです。


本来「癒し」ってのは、心に出来た傷を穴埋めするものではなく、各々が持っている力を正常なスピードや量に戻してあげる事なのではないか、と。


それによって、精神的な負荷が無くなって、自身の起こす無駄な心の抵抗が無くなるんじゃないかと。


もちろん、そのとき一瞬日常から開放されることとか、誰かに悩みを打ち明けることとか、そいういうことってとても大切だと思います。



だけど、打ち明けて、逃れられて、それを「救い」や「癒し」というふうに理解してしまうのは少し早合点な気もするんです。



それは溢れたカップの水を、しばらく溢れ出ないように捨てただけ。


また、同じ量の雨が降れば溢れ出てしまいます。


そうしないためには、カップそのものを今より大きなものに持ち替えなくてはならないんです。


精神の容量を、少しずつでもいいから増やしていく。


そういうことだと思うんです。(説教臭くてごめんなさい・・・)



生きていると、歩みを続けていると、必ず「壁」にぶち当たります。


努力してるのに、悩んでいるのに、ちょっと先に目的地が見えているのに


だけど目の前にはなんだかでっかくてややこしい、目に見えない壁。



みなさんにもそういう経験、ありませんか?


僕が思うに、そういう時って人が変化を起こすときなんだと思います。


おそらく、その壁を乗り越えるために堪えなくちゃならない痛みもあるでしょう。


自暴自棄、疑心暗鬼、脱力・・・・でもね、引き返しちゃ駄目です。もったいないと思うんです。



変わるから痛いのか。


痛いから変わらなくちゃいけないのか。


それは僕にも分かりません。


ただ、その痛みがチャンスである事には変わらないと思います。


脱皮の瞬間ってのは、どうしたって痛くて無防備で、孤独なものです。



さあ、空を飛ぶために、その皮を脱がなくちゃ。



みなさんが安心して脱皮できる、そんな安らかな木の幹を一緒に探す事。


空を飛べるようになるまで、見守る事。


その感動が、僕自身の勇気になります。


それが僕の仕事です。

自転車に乗って色々なところに行くのが大好きです。


GIOSというイタリアのメーカーの自転車に乗っています。


自転車を手に入れたての頃、テンションが上がりまくって、気が着いたら自宅のある江東区から横浜のみなとみらいまで走ってしまったこともあります。


あぁ、今日みたいな天気のいい日にはどこまでもいける気がするのだけれど、まだまだヘルニアの具合が心配なので迂闊にアクティブになれないのが悲しいです。


腰の調子が心配、といいながらも、徐々にリハビリを始めています。

ちょっと長い時間を掛けて歩いてみたり、柔軟をしてみたり。健康体だったときには難なく出来ていたものが、いまではリハビリレベルの運動になっているのが悲しい・・・。


それにしてもまだまだ運動量が足りないらしく、ヘルニアを患ってからちょっと太ってしまったようです。はぁ。


お金がないのに太るって、まったくどういうこと。




さてさて、今日のカードは・・・



言の葉

【力】です。



腕力や武力を遥かに凌駕する、精神の力。


コントロール力。


自らの中にある、攻撃的で獰猛な「野生」の部分を、理性や知性で上手くコントロールする。


そんなことを、このカードは象徴しています。



あなたがこのカードに出会ったとき。質問の要点が外的要因か、内的要因かでだいぶ捉え方は異なってしまうのですが、いずれにせよ、あなたが持っている見えない力が、状況をコントロールする主な力になっている、と言うことです。


私自身、常に肯定的なカードとしてリーディングすることが多いカードです。



人間の中にある、獣の性。

あるときは野生的な勘を、そしてあるときは無尽蔵のスタミナを生み出します。


ただ、エネルギーの根源が「野生」なだけに、そこには善悪の方向性がありません。


そんな野生の本能は、善悪では動かず、あくまで生物的欲求のためだけに働きます。


時には他人に噛み付き、爪を立て、傷つけてしまうことだってありうるのです。



そう、知性や理性を授かった人間という生き物にだけ、この獣をコントロールする「力」が備わっているのではないでしょうか。



【力】のカードはあなたにこう伝えます。


「全てを受け流す力を、受け流しながらも身に纏える、そんな体の良さを、あなたの中に見せましょう」と。



人生の中で、まるで激流のような圧倒的なパワーに押し流されそうなとき。


そんなときにはこのカードが伝えるメッセージを思い出してみてください。


その時あなたの中に眠る、大きくしなやかで柔らかな力を、【力】のカードは指し示してくれることでしょう。