平和と幸せを祈ろう!
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毎年、終戦の日には、周りの人から聞いた戦争体験を書いていきたいと思っています
貴重な体験が風化しないように。。。
さて今年は、台湾人の友人から聞いたお話をご紹介したいと思います
彼女はアメリカの大学のクラスメートでした
60歳を過ぎてリタイヤしてから大学で学び始め、卒業しました
彼女が通う教会には、たくさん日本語が話せる人がいるから遊びに来ないか、と声をかけてくれました
台湾系の教会だったのですが、英語のバイブルスタディーが週1回あって、一度も聖書を勉強したことなかった私、英語の勉強もかねて参加させていただくことにしました
当時はまだ、教会には、日本語が話せるご年配の方がたくさんいました
彼女が幼少のころ、台湾では日本語教育が行われていたのですが、戦時中、彼女の家族は仕事で中国本土に住んでいたため、彼女自身はあまり日本語は話せませんでした
それでも「ハルエ」と言う日本名があると教えてくれました
いつだったか、家族のお話をしたときに、彼女のお父さんは蒸発したと聞きました
ある日、外出したまま、二度と帰ってこなかったそうです
戦争中だったので、きっと日本兵にさらわれたんだろうと親戚の人が結論付けたようでした
本当に日本兵がさらったのか、真実は誰にもわからないけど、「それは申し訳ない。。。やっぱり日本人のことは恨んでる?」と聞くと
「恨んでないよ。当時は怖かったけど、戦争だったから仕方がない。」と言ってくれました
教会の人たちもみんなとても親切で、日本のお赤飯が好きだったとか、思い出話を色々と聞かせてくれました
彼女は戦後を生き抜き、家族を支えるために看護師になって、ドイツやアメリカで看護師として忙しく働いてきました
そして、リタイヤしてから長年の夢だった大学を卒業したのです
偶然にも、私は彼女の娘さんと同じ年
アメリカでのお母さんみたいな存在でした
以前、インドネシア人の友人のお母さんの戦争体験を書いたことがあります
下記参照
世界平和を祈ってやまない今日この頃、日本では聞けない、海外からの生の声
海外に住んでいた私が、外国人から聞いた戦争体験も、何かの参考にしていただけたら幸いでございます

