生きてると実感した瞬間は?
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毎年3月11日に、東日本大震災の思い出を書いているので、被っちゃうかもしれませんが、この日は私が日本に帰国することを決めた要因の1つでもあります
今年はロシア軍のウクライナ侵攻のニュースを観ながら、あの時を振り返っています
ロシア軍の攻撃で、チェルノブイリの電源供給が途絶えたというニュースを観た時、あの時の恐怖がよみがえってきました
今は戻ったそうで良かった
情報が錯綜していて、福島原発が核爆発を起こし、東京に30年間人が近づけなくなる可能性があると聞いた瞬間の絶望感は、すさまじいものでした
周りの人から、核爆発する前に家族を呼んだ方がいいと言われ、そうするつもりだったのですが、都内で姉が働いていたイギリスの会社が独自に専門家を雇って分析し、もしも本当にやばいようだったら、社員とその家族全員をチャーター機で即、非難させると言っていましたが、問題ないとの結論が出て、私も冷静になれたので、それはラッキーだったかもしれません
私は偶然にも、震災の一週間後に一時帰国をする予定にしてたので、キャンセルせずに予定通り実行
飛行機はガラガラで、「この飛行機は、福島上空は通過しません」というアナウンスが流れました
成田に着いたら薄暗くて、人もまばら
すっかり変わり果ててしまっていました
それから滞在中の2週間、計画停電と余震を体験しました
大好きな日本という祖国があったからこその、楽しかったアメリカ生活
毎年お土産をたくさん買って帰国して、夏には甥くんと姉が遊びに来て、あっという間の1年1年がとても充実してました
映画「Fukushima 50」を観て、原発核爆発のニュースは、まんざらデマでもなかったのかもと思います
多くの方々が尽力し、命がけで日本を危機から守ってくれました
現在、祖国が無くなるかもしれないという恐怖と戦っているウクライナの方々はどんなに辛いことでしょう
どうか早く、世界平和が戻りますように
