混乱するインドネシア人と混乱しないメキシコ人 | ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

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ことばに宿る、不思議なチカラ。
人間の言語習得やコミュニケーション能力の奥深さはまだ解明されていないけれど、とんでもなくおもしろい。
気づいたら私のコトバ探検は本格化されていた。

多くの国で学ばれている英語。
母国語が日本語である私たちにとってそれは、
発音やリズムはもちろん、文字も文法もまったく異なるものだ。

だから中学に入って(今はもう小学生からだけど)
「英語を学ぶ」という態勢になったとき
あまりに違う感覚に「わけわからん!」とはなっても
「自国語と混ざって混乱する」ということは起こらない。

では、英語と同じアルファベットを使う違う言語の国ではどうなのだろうか?

インドネシア人のDさんに聞いてみた。

「うん…それが大きな問題なのよ。
 たとえば『one』。英語では『ワン』でしょ。
 でもインドネシア語の読み方だと『オネ』になる。
 だからみんな混乱するの」

これを見ておわかりだろうか。
インドネシア語は、日本語のローマ字読みと同じように母音そのままに読む言語だ。


 やっぱり混乱するのか~…


その感覚を持ち合わせていない私にとって、これは非常に興味深い。
そして彼女曰く、インドネシアも日本と同じような問題を抱えており、英語を話せる人は少ないらしい。
あまたの現地語を有する多言語国家が、
単言語国家の日本と同じ問題を抱えているというのもまた興味深い。

さらにインドネシア語には英語とのおもしろい関係性がある。

たとえば
英語の「information」をインドネシア語にすると「informasi」になる。
「version」は「versi」というように、
英単語の「-tion」や「-sion」を「-si」にすれば
インドネシア語の単語になるというわけだ。

そしてこのような法則は他にもある。

これだけ聞くと、そんな関係性の一切ない日本語を話す日本人より
インドネシア語を話す人の方が英語には親近感を持ちそうだと思ってしまうのだけれど、やはりそれは違うらしい。

彼らには彼らの苦悩がある。


さて、この“スペルが似ている”とか“音が似ている”という言語は、世界を見渡すと多々存在する。

ラテン語が大もととなっているスペイン語・イタリア語・ポルトガル語・フランス語などには共通するものがたくさんあるし、たとえばスペイン語と英語だって似た単語はたくさんある。

そういった言語と比較すればやっぱり、日本語を話す私たちよりは楽そうに感じてしまう日本人は多いのではないかと思われる。

でもやっぱり、彼らもまたインドネシア人のように混乱するのだろうか?

メキシコ人のR君に聞いてみた。

「ん~…、メキシコでも英語を話せる人は少ないです。
 でもスペイン語とイタリア語は間違えないよ」

「でも似てるよね?混乱しないの?」

「しないよ!それは見ればわかる!」

もちろん聞いてもすぐにわかるわけだけれど。
母国語の強み。

そういえばDさんも、マレー語は何を言ってるか全部わかると言っていた。


つまり、中途半端に共通性のある言語は、彼らを混乱させるのだ。
インドネシアのように発音を母国語風にアレンジして読んでしまうのは、母音をそのまま発音するラテン語系の国の人たちにも共通している。

逆に似ている言語(インドネシア語とマレー語、スペイン語とイタリア語とポルトガル語など)であれば、かえってその混乱は緩和される。
…おそらく。


ああ、おもしろい。
日本人の私にはその感覚を体感することができないのが残念だけれど。
たとえ語源の同じ韓国語であっても。