インドネシア語には時制がない。
過去も現在も未来も、同じように言い表すらしい。
初めてそれを耳にしたとき、私は首を傾げた。
じゃあどうやって、“いつのことか” を判断するの?
インドネシアの友人に尋ねれば、答えは簡単。
『いつ』のことかを言えばいいとのこと。
そりゃそうだ。
「昨日」と言われれば昨日だし、「明日」と言われれば明日なわけだし。
別に言い方を変えなくたってわかるじゃない。
考えてみれば、日本語にだって現在形と未来系の区別はない。
私たちは『時制』という概念を『外国語を学ぶ』時に叩き込まれるから、言葉には時制が付いて回ると思っている。
事実、ほとんどの日本人が学校で英語に触れて初めて「現在形」「過去形」「未来形」を意識するのだから。
同様に大学の第二外国語として昔からよくあったフランス語やドイツ語。
これらの言語には時制がある上に、
男性名詞・女性名詞(・中性名詞)があったり
主語によって動詞が変化したり
さらにその変化した動詞それぞれに時制があったり
その時制が過去・現在・未来という3パターンよりさらに複雑だったりわけだから、それはもう
『外国語=活用がたくさん&時制がいろいろ=複雑』
なんていうパラダイムができてしまっても仕方がないのかもしれない。
英語の『will』ひとつとったって、これが
未来を表しているwillなのか
意志を表しているwillなのか
なんて「わかるかーっ!!」と私は思ったものだった…(笑)
でも考えてみたら、日本語も似たような言い方しているのよね。
A「お花見行く?」
B「行くよ」
「行く」は現在形、しかも原形だ。
でもAが話しているのは未来の話。
そしてBが話しているのは未来のことだけど、自分の意志。
ほーらね、そうやって分析してしまえば、日本語だって十分複雑。
現在形と未来系の時制の違いはないけれど、やり取りの中で掴み取るわけだ。
おまけに単なる時制だけではなく、意志まで入ってくるとなれば、おそらく学習者にとっては充分厄介な言語。
インドネシア語には時制がない。
「えっ?!」と思ったのは最初だけ。
こう考えると、不思議なことでもなんでもなかった。
言葉ってやっぱりおもしろい。