どこまで引っ張るんだ!という声が聞こえてきそう。
今日も『サビオ』から派生したお話(*^-^*)
私は小さい頃、『バンドエイド』のことを『バンドエド』だと思っていた。
だから大きくなって、誰かが言った『バンドエイド』を聞き取れたとき
ものすごい違和感を感じた。
なんか…
なんか、文字が増えてる…
名前が長くなった…
耳から聞いて日常的に使っているコトバが
必ずしも正しいとは限らない。
正しく言えていなくても
正しく発音できていなくても
相手に通じれば、そこで会話は成立する。
ましてや子どもの頃は
「『バンドエド』じゃなくて『バンドエイド』よ!」
なんて直されない。
『エレベーター』 を 『エベレーター』
『トンネル』 を 『とんでる』
と小さな子どもが言っていても、親はほほえましく見守るだけ。
いつの間にか自然に直っていくことを知っているから。
その瞬間しかない、かわいらしい時期を親も楽しみたいと思うから。
直ってしまえばもう二度と、間違っていた頃には戻らない。
私は姪っ子たちの言葉ですら、
いつの間にか正しい日本語になっているのを聞いて残念に思ってしまう。
でもたまに、全然気づかないままいい年齢を迎えてしまうことがある。
そしてある日、真実を知ったときに愕然としてしまったり。
私の例で言えば、プリンセスプリンセスの代表曲『ダイヤモンド』。
あの曲が発売された当時、私は中学生だった。
意識しなくても覚えてしまえるほど、あちこちで耳に入ってくる。
メロディもサビの歌詞も、自然と私の中に溜まっていった。
『ダ・イ・ヤ・モ・ン・ドだね~♪ ああ、い・く・つ・かのば~めん~♪』
もちろん歌えた。
そして私はこの歌詞を聴いて、なんてキレイなコトバだろうと思っていた。
『いくつかのばめん』
『かのばめる』ってどういう意味かな?
なんか、キラキラしたイメージ。
キレイだな~♪
『かのばめる』なんていう言葉、他で聞いたことはなかったけれど。
とにかくキレイだと感じた私は、いつもうっとり聴いていた。
だが数年後。
真実が私を襲う。
『ダ・イ・ヤ・モ・ン・ドだね~♪ ああ、い・く・つ・かの場面~♪』
……え…っ?!
いくつかの“場面”??
いくつ“かのばめん” じゃなくて?!
ショックだった。
ものすごーーーくショックだった。
ぜ…全然気づいてなかった…
コトバというものは、何より先に音がある。
音があって、体験が伴って、口から発して自分のものになる。
だから子どものうちは、意味なんてわからないまま
口にしていることが実は多い。
口にしてみて、まわりの反応を体で感じて
使うタイミングや感覚を掴んでいく。
そして意味がわかり
だんだんそのコトバが自分のものになっていく。
“音が先。意味は後”
まったくその通り。
そして私の『タイヤモンド』も、まさにそれだった。
音が先。
意味が後。
ただアレは歌だったから…
自分の日常で体験を通して気づけることではなかった。
だから、私に気づかせてくれたのはテレビ字幕の歌詞だったのだけれど…
『コトバは何より音が先。意味は後』
人がコトバを習得していく上で
それがゆるぎない、間違いのないものであるという確信を
私にもたらしてくれたのは紛れもなく『ダイヤモンド』だ。
多少のショックを伴ったけれど(笑)